お待たせしました。
かねてから近々報告をさせてもらうと言っていた今年4月からの新体制を発表します。
これまでの「セクシュアリティ勉強会」が生まれ変わります。
2014年4月始動、じぶん発見プロジェクト「しろにじカーサ」を発足します。
受講生募集!
本当の「じぶん」、話してみませんか?
じぶん発見プロジェクト「しろにじカーサ」
みなさんの関心に合わせて2つのルームを用意しま した 。
【セルフイメージチェンジ
ルーム】
毎月第2日曜日13:15~16:15
参加費 1回3,000円
コーチング・カウンセリングの視点から深く自分を理解し、よりよい行動選択ができるようにディスカッションやワークを行います。
4月13日(日) 「思い込みを知る」
名古屋トヨペット千種内山店 2F会議室
5月11日(日) 「視点を変える」 ナディアパーク(青少年文化センター)
8Fビデオルーム
6月8日(日) 「できることから始める」 名古屋トヨペット千種内山店
2F会議室
7月以降随時お知らせします。
【マイノリティスタディ
ルーム】
毎月第4土曜日13:15~16:15)
参加費 1回3,000円
ほかの人とどこか違う、違和感に感じているところを個性に変えていくアプローチで、マイノリティ(セクシュアルマイノリティ・シングルマザー・父子家庭・発達障害・摂食障害・各種依存症など)を題材にディスカッションを重ねていきます。
4月26日(土) 「友達ってなに?」
名古屋市東スポーツセンター 2F第1会議室
5月24日(土) 「ありがとうってなに?」 ナディアパーク(青少年文化センター)
8Fビデオルーム
6月以降随時お知らせします。
1ルーム(年間)全12回受講の場合 受講料30,000円(欠席分は翌年または別ルームに振替可)
2ルーム(年間)全24回受講の場合 受講料50,000円(欠席分は翌年に振替可)
★プロジェクト発足キャンペーン
3月1日(土)開催の「第14回セクシュアリティ勉強会」または3月20日(木)開催の「セクシュアリティ勉強会
第6回平日夜の部」に参加されて、年間受講を申し込まれた方は、その勉強会の参加費2,000円をキャッシュバックします。
「しろにじカーサ」って?
「しろにじ」とは夜見える月の光によってできる虹のことで、それを見た者は幸せになると言われています。そして「カーサ」とはスペイン語で「家」のことです。
じぶん発見プロジェクト「しろにじカーサ」では、参加してくださったみなさんが自分自身のことやマイノリティについて何でも話せる家族という空間をめざします。
3月1日(土)開催の「第14回セクシュアリティ勉強会」および3月20日(木)開催の「セクシュアリティ勉強会
第6回平日夜の部」の参加もまだまだ受付中です。
お問い合わせ・お申し込みはコチラまで。
メール:torff_sessionroom@ezweb.ne.jp
電話:090-9262-8782
じぶん発見プロジェクト「しろにじカーサ」代表 豆腐(きまた宗則)
2014年2月23日日曜日
2014年2月6日木曜日
性同一性障害ってなに?
「性同一性障害」とは。
広辞苑によると「身体の器官の性と自己認識としての性とが一致せず、強い違和感や不快感が生活する上での困難になっている状態。」となっています。
もしかしたら、もっと医学書っぽく調べないといけないのかもしれませんが、これまでボクは「性自認と身体のつくりが一致していない人」と短絡的に位置づけていました。
ある方とお話をしていて、そんな短絡的なことでもない気がしててきました。
ボクは、去年の11月20日に「男性性・女性性」というブログを書きました。
そこで、ボクは男性性か女性性か片方しかない人はいないと言いました。
それは、「受容」する力がないと自分のことも他人のことも社会も理解することはできないし、「行動」する力がないと何も決められないし動けないからです。
完璧な「男」も「女」もいないと思っています。
人は何を以て、自分の性自認を決めるのでしょうか?
「男」って概念ってなに?
「女」って概念ってなに?
「セクシュアリティ勉強会」のなかでボクは、大きく分けて「セックス」「ジェンダー」「セクシュアリティ」の概念が「性」にはあると説明しています。
そこは概して異論がないところだと思います。
「セックス」「セクシュアリティ」はまだわかりやすいとしても、「ジェンダー」の概念による「性別」の判断はかなり人によってものさしが違うと思います。
なぜなら「ジェンダー」は、文化的・社会的役割で「性」を決める概念だからです。
人それぞれ、生まれや育ちやその環境は違うし、親や家族からの刷り込みがあるから、「男らしさ」「女らしさ」の感じ方はまちまちです。
「ジェンダー」の考え方は「男性性・女性性」に近いです。
もし、広辞苑の解釈が正しいとしたら、「性自認」だけでなく、そこに「強い違和感や不快感」が存在していて、さらにそこに「生活する上での困難な状態」が存在しないといけません。
単に「性自認」と「身体のつくり」が一致しないだけでなく、周りに迷惑をかけようが、その違和感を認めてもらえずに諦めかけていようが、それを「別の性」でしか生きていけないほど苦しい状態がなければ、「性同一性障害」とは呼べないのかもしれません。
ボクは、「同性愛者」なので、セクシュアルマイノリティの生きづらさはわかっているような気でいました。
そして、カミングアウトできない人を、堂々と出来ずに苦しんでいるように見えると感じています。
毎回、くどいほど言いますが、「カミングアウトできない人」をダメだと言っているのではないですよ。
「カミングアウト」が大変なことは痛いほどよくわかっています。
「カミングアウトできない人」の苦しみはとてもよく知っています。
そうして、「カミングアウトできない人」と「性自認のとおりに生きられない人」を質や大きさは違っても同じような苦しみだと思っていました。
「同性愛者」は「カミングアウト」しないと、本当に自分に正直に堂々と生きられないとは思っています。
でも、「性同一性障害」は自分の「性」を罪悪感なく受け止め、「身体のつくり」と違う「性自認」だときっちり受け止めて、「身体のつくり」と違う方の「性」として生きていくことを決めて初めて「障害」となるのだと思います。
ここの決心が「同性愛者」の「カミングアウト」に近い気がしてたんですね。
「身体のつくり」と違う「性」だと受け止め、その「性」で生きていく決心と覚悟をするということは、ものすごく大変なことだと想像ができます。
「同性愛者」は「性自認」に違和感があるわけではないし、「身体のつくり」と違う「性」に変えて生きないといけないわけではないから、単に自分の性対象を公表するかしないかだけの問題になってしまっているような気がします。
これを一緒くたにして語ること自体、無謀な気がしてきました。
いやいや、「身体のつくりと違う性で生きていく」決心や覚悟も、「同性愛者のカミングアウト」の決心や覚悟も、どちらもものすごく大変なことだと思います。
この辺の話をしながら、単に「女性性の強い男性」や「男性性の強い女性」の「違和感」と「性同一性障害」の「生活する上での困難な状態」とをごっちゃにして適当にわかった気がしていた自分を「マイノリティのパイオニア」とは呼べないな、と感じました。
というか、セクシュアルマイノリティのうち、どれほどの人が、自分の性自認を正しく突き詰めているんだろう。
「正しい」「間違い」や「正解」「不正解」はないといつも言っているボクですが、なんとなく「男」でいたいとか、直感で自分は「女」な気がするとか、簡単に言ってる一部のマジョリティや、「憧れ」みたいなものを「学生時代に同性を好きになったことがあった」とか、簡単に共感する一部のマジョリティに、不快感さえ感じます。
一部のマジョリティと限定している点ですでに偏りがありますね。
マイノリティ自身もそこまで突き詰めているのかわかりませんしね。
ボク自身も含めて、です。
そもそも、そんな深い部分の生きづらさに人は向き合えるんだろうか。
ボクは大丈夫ですよ。
「ある程度」ですが、マジョリティの多くの人がそうなっちゃうのも、マイノリティの多くの人がその認めてもらえない感じを強く感じてしまうのも、わかちゃっているから。
だからこそ、「普通」の人たちはこんな考え方をするボクを面倒くさいと思うんだろうし、ボクの活動はあたかもマイノリティの苦しみをマジョリティの人たちも味わってみろというように感じてしまうだろうし、マイノリティの苦しみなんていちいち感じてられない中でみんな必死に生きているんだろうし。
ただ、ボクは、少なくともその辺の自分や人への理解をある程度までは無意識までしっかり見つめ、カウセリングやコーチング、セミナー講師をしていきたいと思います。
「男は男らしく」「女は女らしく」なんてまったくくもうナンセンス極まりない。
みんなもっと「自分らしさ」を追求していきましょうよ。
少なくとも自分の「男性性・女性性」をしっかり見つめて受け止めて欲しいです。
切なる願いです。
長文、付き合っていただきありがとうございました。
広辞苑によると「身体の器官の性と自己認識としての性とが一致せず、強い違和感や不快感が生活する上での困難になっている状態。」となっています。
もしかしたら、もっと医学書っぽく調べないといけないのかもしれませんが、これまでボクは「性自認と身体のつくりが一致していない人」と短絡的に位置づけていました。
ある方とお話をしていて、そんな短絡的なことでもない気がしててきました。
ボクは、去年の11月20日に「男性性・女性性」というブログを書きました。
そこで、ボクは男性性か女性性か片方しかない人はいないと言いました。
それは、「受容」する力がないと自分のことも他人のことも社会も理解することはできないし、「行動」する力がないと何も決められないし動けないからです。
完璧な「男」も「女」もいないと思っています。
人は何を以て、自分の性自認を決めるのでしょうか?
「男」って概念ってなに?
「女」って概念ってなに?
「セクシュアリティ勉強会」のなかでボクは、大きく分けて「セックス」「ジェンダー」「セクシュアリティ」の概念が「性」にはあると説明しています。
そこは概して異論がないところだと思います。
「セックス」「セクシュアリティ」はまだわかりやすいとしても、「ジェンダー」の概念による「性別」の判断はかなり人によってものさしが違うと思います。
なぜなら「ジェンダー」は、文化的・社会的役割で「性」を決める概念だからです。
人それぞれ、生まれや育ちやその環境は違うし、親や家族からの刷り込みがあるから、「男らしさ」「女らしさ」の感じ方はまちまちです。
「ジェンダー」の考え方は「男性性・女性性」に近いです。
もし、広辞苑の解釈が正しいとしたら、「性自認」だけでなく、そこに「強い違和感や不快感」が存在していて、さらにそこに「生活する上での困難な状態」が存在しないといけません。
単に「性自認」と「身体のつくり」が一致しないだけでなく、周りに迷惑をかけようが、その違和感を認めてもらえずに諦めかけていようが、それを「別の性」でしか生きていけないほど苦しい状態がなければ、「性同一性障害」とは呼べないのかもしれません。
ボクは、「同性愛者」なので、セクシュアルマイノリティの生きづらさはわかっているような気でいました。
そして、カミングアウトできない人を、堂々と出来ずに苦しんでいるように見えると感じています。
毎回、くどいほど言いますが、「カミングアウトできない人」をダメだと言っているのではないですよ。
「カミングアウト」が大変なことは痛いほどよくわかっています。
「カミングアウトできない人」の苦しみはとてもよく知っています。
そうして、「カミングアウトできない人」と「性自認のとおりに生きられない人」を質や大きさは違っても同じような苦しみだと思っていました。
「同性愛者」は「カミングアウト」しないと、本当に自分に正直に堂々と生きられないとは思っています。
でも、「性同一性障害」は自分の「性」を罪悪感なく受け止め、「身体のつくり」と違う「性自認」だときっちり受け止めて、「身体のつくり」と違う方の「性」として生きていくことを決めて初めて「障害」となるのだと思います。
ここの決心が「同性愛者」の「カミングアウト」に近い気がしてたんですね。
「身体のつくり」と違う「性」だと受け止め、その「性」で生きていく決心と覚悟をするということは、ものすごく大変なことだと想像ができます。
「同性愛者」は「性自認」に違和感があるわけではないし、「身体のつくり」と違う「性」に変えて生きないといけないわけではないから、単に自分の性対象を公表するかしないかだけの問題になってしまっているような気がします。
これを一緒くたにして語ること自体、無謀な気がしてきました。
いやいや、「身体のつくりと違う性で生きていく」決心や覚悟も、「同性愛者のカミングアウト」の決心や覚悟も、どちらもものすごく大変なことだと思います。
この辺の話をしながら、単に「女性性の強い男性」や「男性性の強い女性」の「違和感」と「性同一性障害」の「生活する上での困難な状態」とをごっちゃにして適当にわかった気がしていた自分を「マイノリティのパイオニア」とは呼べないな、と感じました。
というか、セクシュアルマイノリティのうち、どれほどの人が、自分の性自認を正しく突き詰めているんだろう。
「正しい」「間違い」や「正解」「不正解」はないといつも言っているボクですが、なんとなく「男」でいたいとか、直感で自分は「女」な気がするとか、簡単に言ってる一部のマジョリティや、「憧れ」みたいなものを「学生時代に同性を好きになったことがあった」とか、簡単に共感する一部のマジョリティに、不快感さえ感じます。
一部のマジョリティと限定している点ですでに偏りがありますね。
マイノリティ自身もそこまで突き詰めているのかわかりませんしね。
ボク自身も含めて、です。
そもそも、そんな深い部分の生きづらさに人は向き合えるんだろうか。
ボクは大丈夫ですよ。
「ある程度」ですが、マジョリティの多くの人がそうなっちゃうのも、マイノリティの多くの人がその認めてもらえない感じを強く感じてしまうのも、わかちゃっているから。
だからこそ、「普通」の人たちはこんな考え方をするボクを面倒くさいと思うんだろうし、ボクの活動はあたかもマイノリティの苦しみをマジョリティの人たちも味わってみろというように感じてしまうだろうし、マイノリティの苦しみなんていちいち感じてられない中でみんな必死に生きているんだろうし。
ただ、ボクは、少なくともその辺の自分や人への理解をある程度までは無意識までしっかり見つめ、カウセリングやコーチング、セミナー講師をしていきたいと思います。
「男は男らしく」「女は女らしく」なんてまったくくもうナンセンス極まりない。
みんなもっと「自分らしさ」を追求していきましょうよ。
少なくとも自分の「男性性・女性性」をしっかり見つめて受け止めて欲しいです。
切なる願いです。
長文、付き合っていただきありがとうございました。
2014年2月1日土曜日
「セクシュアリティ勉強会 第6回平日夜の部」のご案内
今日は「セクシュアリティ勉強会
第6回平日夜の部」のご案内です。
みなさんの心の中に、ほかの人とどこか違う、違和感に感じていることはありませんか?
それは、もしかしたら、あなたにしかない光り輝く宝石のような個性かもしれません。
「性差」という視点から、その個性について一緒に勉強してみませんか。
セクシュアリティ勉強会 第6回平日夜の部
日時 : 2014年3月20日 木曜日 19:00~21:00
場所 : ナディアパーク(青少年文化センター) 8F ビデオルーム
名古屋市中区栄3-18-1 ナディアパーク内
地下鉄名城線・東山線「栄駅」より徒歩約7分, 名城線「矢場町駅」6番出口より徒歩約5分
http://www.bunka758.or.jp/scd03_access.html
参加費 : 2,000円
参加資格 : 先着20名様まで
「セクシュアリティ勉強会」の平日夜の部も今回で6回目を迎えることができました。
どなたでもご参加いただけます。
性差という視点から、個性について一緒に勉強していきましょう。
今回は「生き方の選択」というテーマで開催します。
よろしくお願いします。
お問い合わせ・お申し込み先
マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ) 豆腐
Tel : 090(9262)8782
携帯mail : torff_sessionroom@ezweb.ne.jp
活動ブログ「豆腐の Activity Life」、Facebook、mixiメッセージ、twitter、amebaメッセージ、こくちーずなどからもお申し込み可能です。
定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。
お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。
主催:豆腐(協力:セクシュアリティ勉強会実行委員会)
親睦会は平日夜の開催なのでしない予定です。
先日ご案内しました「第14回セクシュアリティ勉強会」もまだまだ参加申し込み受付中です。
たくさんの参加表明お待ちしております。
みなさんの心の中に、ほかの人とどこか違う、違和感に感じていることはありませんか?
それは、もしかしたら、あなたにしかない光り輝く宝石のような個性かもしれません。
「性差」という視点から、その個性について一緒に勉強してみませんか。
セクシュアリティ勉強会 第6回平日夜の部
日時 : 2014年3月20日 木曜日 19:00~21:00
場所 : ナディアパーク(青少年文化センター) 8F ビデオルーム
名古屋市中区栄3-18-1 ナディアパーク内
地下鉄名城線・東山線「栄駅」より徒歩約7分, 名城線「矢場町駅」6番出口より徒歩約5分
http://www.bunka758.or.jp/scd03_access.html
参加費 : 2,000円
参加資格 : 先着20名様まで
「セクシュアリティ勉強会」の平日夜の部も今回で6回目を迎えることができました。
どなたでもご参加いただけます。
性差という視点から、個性について一緒に勉強していきましょう。
今回は「生き方の選択」というテーマで開催します。
よろしくお願いします。
お問い合わせ・お申し込み先
マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ) 豆腐
Tel : 090(9262)8782
携帯mail : torff_sessionroom@ezweb.ne.jp
活動ブログ「豆腐の Activity Life」、Facebook、mixiメッセージ、twitter、amebaメッセージ、こくちーずなどからもお申し込み可能です。
定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。
お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。
主催:豆腐(協力:セクシュアリティ勉強会実行委員会)
親睦会は平日夜の開催なのでしない予定です。
先日ご案内しました「第14回セクシュアリティ勉強会」もまだまだ参加申し込み受付中です。
たくさんの参加表明お待ちしております。
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