2014年10月29日水曜日

じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ 10月度【マイノリティスタディルーム】のご報告

先週の土曜日10月25日は、「じぶん発見プロジェクト『しろにじカーサ』【マイノリティスタディルーム】」でした。

10月MSR1



今回は、6名のみなさんが参加してくださいました。

以下、参加されたみなさんの感想です。


【Sさん】うつ気味の僕には少々理想が高いテーマかなと思っていた。ただ、ネガティブな言葉を吐く自分にやさしい言葉をかけていただける方々がいらして嬉しかった。
【Oさん】挑戦することをこわがる・逃げる癖が自分にも強いです。セクシャルマイノリティーであることも大いに影響しています。仕事を転々としすぎているということも大きいです。「今さら何に挑戦するって???」というあきらめは、一応自分にも目標が設定してあっても、根強いものがあります。マイナスの要因はいろいろあり、「でも多分、これは大した問題ではないのだ」という感覚も自分の中にはあり、自分が自分の置かれた状況を、ポジティヴにはとらえられなくても、中立の立場で見るのは可能で、自分なりの意味づけをしていけば今までよりは上手くいくかも。現に自分なりの意味づけで生きてきたし。「仲間はこの人たち」と言える人がまだいませんが、「仲間になりそうな人々」はいないわけではなく、「出会いのありそうな場」に心あたりはあるので、自分をもっと心身共に安定した状態へ、自分で自分のお手入れをもう少し徹底すれば、もうあまり頭で難しいことを考えたくない。それよりもうまく周りの人々を受け入れられれば、意外とカンタンに事は展開していくのかも・・・と思います。
【田村通義さん】楽しかったです。
【Nikkohさん】2ヶ月ぶりになりました。久々のマイノリティスタディルームを満喫することができました。《挑戦》という語から受ける印象には、どちらかというと重たい苦しいつらいという要素を強く持っていました。しかし、少し印象が変わったように思います。事例の方々もきっと苦しみやつらさをたくさん乗りこえたことと思います。それでも、明るさの方が強く伝わってくるのは、《楽しさ》が主になっているからのような気がしました。意欲や自信や安心感が原動力になっていると感じ、それは仲間と共感し合える(共有し合える)ことから生まれているのだと思います。自分自身については、穏やかな人生のためにいろいろなことを《受け入れる》ことを、今後も少しずつすすめていきたい、そこに挑戦をしていきたいと思いました。
【やすよさん】今日初めて合った方ばかりですが、皆さんをとおして自分が見えてきた気がします。


今回は、アンプティサッカーの事例を動画で見てもらいながら、「挑戦ってなに?」というテーマでディスカッションしました。


10月MSR2 

 
アンプティサッカーとは、主に上肢、下肢の切断障害を持った選手がプレーするサッカー。
何人かの片足を失った方々の絶望から、アンプティサッカーチームのメンバーたちの仲間との共有を通して、自信を取り戻し、サッカーと人生に挑戦していく男たちの物語です。
もう2度とできないと思っていた、ひとつのボールを夢中で追いかけること。
アンプティサッカーが、日本で始まってわずか4年、多くの人がその魅力の虜になっています。
足を失ったことを受け入れることから始まり、人前で義足を脱ぐ勇気、将来の不安、数々の困難を乗り越えてまで彼らを挑戦へと駆り立てるものは何なのでしょうか。

まず、参加者のみなさんに自己紹介と、最近何かにチャレンジしたことはあるか、または何かに挑まなければならない状況に置かれたことはなかったかをお話してもらい、次に、「挑戦する」「チャレンジする」ということについてどんなイメージを持つかをお話してもらいました。
そして、動画を見てもらって率直な感想を聴かせてもらいました。

今回、多くの方が「挑戦」という言葉に、苦痛を伴うもの・ときには危険や無謀さを伴うようなイメージを持ちやすいことがわかりました。
ところが、このサッカーチームの人々は「挑戦」を楽しんでいる、「挑戦」を楽しんでもいいということを教えてくれているということを知ることができました。


10月MSR3
10月MSR4
10月MSR5

後半は、彼らにとって「挑戦する」ことがどんなことだと思うか、彼らが何に「挑戦」したのだと思うか、ほかの仲間たちは同じ仲間として、何を助け合ったり何を刺激し合ったりしていると思うかなどをディスカッションしてもらいました。 そして、なぜ彼らは、自分のハンディキャップである部分を乗り越えてまでサッカーをするのだと思うか、また、なぜ彼らは障害を曝してまで挑戦をするのだと思うか、そこにどんな意味があると思うかをディスカッションしてもらいました。

ボクらは、あえてひとに自分の弱いと思う部分をあえて人に曝してまでなかなか新たな行動をしようとしません。
そこは、ひとと著しく違っていたり、普通でないことを、恥ずかしいものと捉えたり、仲間に入れてもらえないのじゃないかと怖れたり、ときと場合によってはいけないもののように感じたりしがちです。
彼らは絶望したままで引きこもることもできたはずです。
ないものはないと受け入れ、ないままでいかに生きていくかを考えて行動していくことは、大変なことです。
足がないことを受け入れるしか彼らには選択がなかったのだと思います。
しかし、われわれは、見てくれに関係ないことや心のなかのことは隠しても生きてゆけます。
ひとと違うことを受け入れられなければ、表面上の痛みを避けて隠し続けていくことになります。
それは本当に自分らしい生き方なんでしょうか。
そんなことを話し合ってもらいました。

諦めない」ことを選んだ男たち、でも彼らは足がないことについては上手に「諦めた」のだと思います。 そんなことをお話しました。

また、同じ志や価値観を持った人たちの共有感は、前に進む勇気をくれ、途轍もないパワーを生み出すことをお話しました。
成功体験だけでは培うことのできない「
共有」や「共感」は強い団結力や仲間意識によって、ものすごく強い力を生み出すと言えます。 しかし、ひとと違っていることは、強烈な差別や偏見を生んだり、孤独に追いやることもできます。

今回は参加者のかたから「
無意識のバイタリティ」という言葉も出てきました。 ボクがカウンセリングで学んだカール・ロジャーズの「自己実現傾向」の話もさせていただきました。
誰もが、どんな絶望の壁に突き当たっても、苦しみの谷に突き落とされても、それを乗り越えようとする力が必ずあります。
たくさんのひとの目や、不必要な思い込みによって、その可能性は見えなくなっていくことがとても多いです。

自分の何を
受け入れ、どんな可能性を信じ、何に挑戦していくかは、個々の受け止め方次第なんですよね。 自分が何を大切にしていて、何を「希望」や「目標」にしていくか、それには「自己理解」がとても大切なんだと思います。

10月MSR6
10月MSR7

毎月書いていますが、3月までの「セクシュアリティ勉強会」のときは、事例が極端すぎてなかなか当事者の気持ちになりきれないという意見が多くありましたが、【セルフイメージチェンジルーム】で理論的に、もしくは感覚的に得たものを、応用してもらえるような、この3時間だけでもいろんなシチュエーションに身を置くことで、実際に自己理解相手理解を深めていってもらいたい意図もあります。 人は独りでは生きていけません。
人との関係性のなかで、また自分が存在する社会のなかで生きています。
ひとは、深く「
自己理解」をして、自分を受け入れ、自分と向き合って、自分の人生を全うしていきます。 そして、社会に存在していくのです。 【マイノリティスタディルーム】では、これからも「マイノリティ当事者の事例を参加者の方に活かしてもらえるような気づきをもたらす、そして安心して自分のことを話し、支えあっていけるような「心の居場所」にしていきたいと思います。

10月MSR8

参加してくださったみなさん、ありがとうございました。


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