2014年6月15日日曜日

変わりたいと思っているのに変われない3つの不安

いろいろうまくいかなくて、自分が変わるしかないと思っているひとたちが、無意識では本当は自分が変わるしかないと思っているのに、なかなか変われないのには、大きく分けてふたつの不安があるのだろうな、と思っていました。

ひとつは、未知の体験をする不安

なぜなら、うまくいかないことで苦しい思いをしていても、その苦しみは経験済みなので、今のままでいることが、苦しいことだと無意識が知っていても、たとえ苦しいままでも、経験済みだから、今までのことを続けていくだけだからです。
新しい体験がほぼ確実に楽になるとわかっているのに、不安の方が勝ってしまうんですよね、きっと。

ふたつめは、変わることでより悪い方に変わってしまうかもしれない不安

未経験のことは、良い方向に向かうと確信して変わろうとするんだけれど、その環境になったことがないから、そのとき自分がどうなってしまっているんだろうという不安があると思います。
もしかしたら、思っているようにはうまくことが運ばなくて、今より悪化するんじゃないかという不安。
近い体験があれば、どうなるのかは推測しやすいけれど、未経験だからうまくいかなかったときの不安がどうしても増大してしまうというもの。

このふたつの不安が大きすぎて、変わろうとする期待よりも、その不安の大きさに堪えきれずに変わろうとしないんだと思っていました。

でも、その不安って、苦しみを続けていくことより、そこまで増幅してしまうものなのか、少し疑問がありました。

今日、きっともうひとつ、重大な不安があるんじゃないかということに気づきました。

それは、自分が変われないだろうという強力な不安があることを認めてしまう不安です。

これまで、なかなかうまくやれないことに苦しみを感じていて、そんなままではダメだな、と思って、顕在意識は変わろうとするとき、そのダメな部分を反発で頑張って、違う認められ方をしようとしようと意識することをみんなしようと思うんだと思います。
それなのに、そのダメな自分を認めてしまいたくない思いを反発に変えて頑張ってきた人は、ダメな自分を認めることで反発する原動力となる前提がなくなってしまう。
反発と開き直りが、唯一自分を支えていたのに、この不安を認めてしまうと反発ができなくなってしまい、劣等感だけが残って、余計に変わる行動にブレーキをかけてしまうのではないかと。

弱さを認めてしまうと、反発だけで行動力に変換させていたひとは、行動できなくなってしまう。

ひとは、この3つの「未知の体験を怖れる不安」「変わる選択をして変われないどころか悪化してしまう不安」「弱い自分を受け入れてしまう不安」があって、これがそんじょそこらのモチベーションを上げることだけでは、なかなか難しいんだと思います。

この不安を受け入れることは、文字上では簡単そうでも、思い込みとして持っている未知の世界は絶大な不安がある」「未知の世界は罫線していない新しいチャレンジだから不安になる」「ダメな自分を認めてしまう不安があることは、相当根強くて、変化を求める自分には見た目以上に相当なブレーキをかけているんだと思います。

今までは、はじめに書いたふたつの不安でひとは変わらない選択をしてしまうんだろうな、と思っていました。

だけど、今日、弱い自分を認めてしまう不安に気づいてみて、これはなかなか手ごわいと思いました。
変わろうとする力はある意味「強さ」かもしれません。
なのに、弱い自分を認めないと行動に移らない。
「強さ」を強調することと「弱さ」を受容することを、同時にしなければならない
これは、表面上の顕在意識の無理矢理で強引な力では、きっと思い切れないんでしょうね。

けれど、「変わる」というのはきっとそういうこと。

でも、いつまでも苦しいままの行動パターンや思考パターンからは、みんな早く抜け出して欲しいと思います。
弱さを認めてしまうこと」は慣れてくると実に簡単です。
自分のいちばん弱い部分を認めることが頑張ってできれば、なんてことはないです。

そして、「自分の弱さを認めること」が「負け」とか「敗北」のようになってしまっているひと、それも単なる思い込みです。
ただ「自分の弱さ(人から弱く見られていること、自分がそれをダメだと思っていること)」を認めることは、「敗北」ではなく、「自分を深く理解した」に過ぎないことを、腑に落とせると、すぐ「変わる」決心や覚悟ができるんだろうなと思います。

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