2014年5月23日金曜日

怒りの感情

3月に、ちょっとかなり強制的に参加者に感情を味わわせるセミナーに参加しました。

ボクは相当に体感覚が少なく、内省して思考で考えを落とし込んでいくのが得意です。
感じることが苦手です。
というか、体感覚はあるにはあるんだけど、感覚だけで覚えておけないです。
だから、感じたものを、言葉に表現して、に残しておきたい方です。

そのセミナーでは、思考では出てこないものを引き出すワークがありました。
それは、考えさせないように、矢継ぎ早に感覚をどんどんどんどん引き出すもので、考えさせる時間をくれませんでした。
を経由せずに、口をついて出てくるものが本当の感情なんだということなんだと思います。

でも、ボクにはそれが無理でした。
体感覚が優位に働くひとにはとても有意義なワークなんだと思います。
多くの参加者が、そのワークによって本当に望んでいるものを気づくことができました。
ボクがどうなったかというと、感じ取れないので、考えさせてほしい、と感じました。
だけど、そのワークがそういう意味のものなので、せめて苦手なものをじっくり感じる時間を欲しいと思いました。
結果、その考えさせないワークで、ボクは怒りが爆発しました。
今まででいちども出したことのないくらいの大声で怒鳴りかかりました。
結局、心から欲しいと思うもの、心から望んでいるものは出て来ずに、怒りだけが残りました。
それからの約1週間は、怒りに満ちて、小さなことにも腹が立ち、いらいらして大変でした。

怒り喜怒哀楽のひとつで、感情です。
でも、心理学の世界では、怒り第二感情だと言われています。
怒りの奥に、悲しみ寂しさ空しさ罪悪感孤独感嫉妬心不安などがあると言われています。
ボクの場合は、かつては、不安罪悪感孤独感が入り混じったものだったと思います。
今のボクは自己否定感をいろいろ変えてきて、ダメ出し感がなくなってきたので、おそらく、不安が主に怒りとして表出していると思います。

たぶん、ボクは昔から自分が感情怒りとして表出させると、ひとを思い切り傷つけたりする凶暴性無意識で知っていたので、受け止めきれない感情怒りとしては噴出させずに、理詰めで論理武装していました。
防衛本能からひとを言いくるめてしまうようになっていました。
もしかすると、今でもその傾向はあるかもしれません。
でも、心理を扱うことを仕事にしたので、かつてほどのゴリ押し感は少なくなくなってきたと思います。

怒りを噴出させているときは、おそらくその奥にある第一感情を受け止めたり認めたりすることが怖かったり、を受ける恐怖から、怒りという仮面を被っているんだと思います。
それは、鬼のような、または般若か悪魔かなまはげのような顔をしたものです。
そうして威嚇をすることで、を受けないようにしているんですよね。
悲しんだり、寂しそうだったり、妬んでいたり、不安そうであったりする素顔本性を見せないために。

でも、怒りはひとを傷つけたり、ビビらせたりしてしまいます。
そうしてまた、怒りを表出した自分にみんなダメ出しをしてしまいます。

では、怒りっぽいひと・怒ることでいつも失敗を繰り返してしまうひとは、どうしたらよいのでしょうか。

怒りは、喜怒哀楽のひとつなので、あっていいものです。
むしろ、怒りがないと、へらへら笑っているだけの、もしくは、閉じ篭ってしまうだけのひとになってしまいます。
どんなひとでも、いちどは誰かを殺したいほど怒りを憶えたことがあるはずです。

怒りが出てきたこと自体は、ちゃんと自分を護っていることなので、ダメだと思う必要がないんです。
それを誰かにぶつけるように噴出してしまうことが、トラブルになるんだと思います。

その怒りの奥の第一感情が何であるかをちゃんと知り、その第一感情を直接感じにくい環境下に身を置くように心がけるのが大事なんだと思います。
そして、その奥の第一感情を上手に傷つくことなく受け止められるように準備するのが大切なんじゃないかと。

ボクの場合だと、怒りが出てくるときの第一感情不安なので、不安をしっかり時間をかけて感じ取り、その不安な感覚ダメ出しをせずに、寄り添うようにしています。

本音を引き出すワークをしたセミナーからは、おかげさまで脱却し、もともとの穏やかな日常を取り戻すことができました。

ぜひ、みなさんも、取り組んでみて欲しいな、と思います。
怒り感情でトラブル起こさないひとは何も取り組む必要ないですけどね。

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