2014年5月5日月曜日

「頑張る」ということ

ボクは「頑張る」ことが大好きです。よく「頑張ります」と言います。
そうすると、決まって返ってくる反応が「豆腐さん、頑張りすぎてて心配」とか「豆腐さんにとって頑張るって無理することなの?」といった反応。

そこで、「頑張る」を辞書で調べてみました(笑)。
頑張る」とは「我に張る」の転で、意味としては3つ掲載されていました。
ちなみに広辞苑です。

①我意を張り通す。
②どこまでも忍耐して努力する。
③ある場所を占めて動かない。


そうか、この意味だと、ボクはみんなが言うとおり「無理しているのかもしれないな」と思いました。
普段ボクが使っているのは②の意味。用例が書かれていたけど、「成功するまで頑張る」、まさにこの使い方です。

ボクは確かに無理するほど頑張りすぎてうつになりました。
このときは確かに無理をしていました。
ただ、今のボクは、そもそも頑張りたい自分というものを受け入れてしまったので、無理をするほど頑張りません。
多少は「無理」に近いかもしれませんが。

言い換えると、100%力が出せるとして、いつも60%くらいでやっていることを、どうしてもやりたいことに関しては,100%に限りなく力やエネルギーを注いで、成果や結果を残したいので、そうできるようにモチベーションを上げてみる感じでやってみているのがボクです。
決して、120%や150%にしようとしているのではないし、ましてや倍返しするつもりもありません。
「成功するまで」っていうのは、そもそも「成功」が「無理」だというときに、100%を超えるって解釈です。

ボクの中に、「頑張る」の中に「健気」みたいなイメージがあるのは、間違いなくボクの観念だけど、「頑張る」の中に勝手に「無理する」イメージを付けているひともそのひとの観念ですよね。

よく、うつのひとは、頑張れなくてうつになってるんだから、「頑張れ」って言っちゃダメだと言います。
総体的に見て、それはその通りだと思います。
ただ、うつになった自分は明らかに「無理」だったけど、うつの最中でもボクには「頑張れ」は励ましでした。
朝起きられたとき、食事が取れたとき、外出できたとき、眠れたときは、「よく頑張ったね」と自分に言っていました。

オリンピックのときなど、「がんばれ、ニッポン!」とかいうロゴ見ると元気出たもんです、ボクは。

そもそも悪いイメージの言葉でないのに、無理に悪いイメージの言葉を意味づける必要はないと思います。
頑張る」という言葉自体に、良いも悪いもありません。
たまたまボクがいい意味づけをして使っているだけです。
それでボクの内面がうまくいっているのに、他人に「頑張れ」って言っているわけでないのに、それって余計なお世話だと思います。
心配してくれてるのに悪態つくようだけど。

ボクは確かに頑張りたいことに夢中になりすぎて体を壊していました。
だから「頑張る」ことに罪悪感がありました。
でも今は、ときどきやりすぎるけど、充分体を壊さないように配慮しながら頑張っています。
それがたとえ、ほかのひとにとっては「無理」なことでも、ボクには「無理」じゃないこともあります。
もちろん、一般的に見てやりすぎてることに自分が気づいてないときはありがたいし嬉しいんですが、そもそも、頑張れるエネルギー量は人それぞれなんだし、やる気を削がないで欲しいな、と思っていたりしました。
社会的に、これは「無理している」って捉えられるんだなぁ、って解釈していました。

でも、ボクは「頑張っている」人が大好きです。
そういうボクも頑張っているひとに「無理はしないでね」とやっぱり言います(笑)。

この辺は去年の11月に別のブログに書いたことです。

最近感じるのは、急にまた「頑張るな」とか、「頑張らないで自然体でいる」っていうひとがたくさん増えてきたような気がして。
ブームなんですかね。
そういう方たちが提唱しているのは、きっと無理して頑張っちゃう人に向けて言っているんだと思います。

・頑張らないと結果が出ないに決まっているから無理やりやる気を出して頑張っちゃって心や体を傷めてしまう人
・頑張らない自分ってダメだよね、って自分にダメ出しをしている人
・頑張ることで人に認めてもらおうとしている人
・罪悪感や防衛本能で頑張っている人


こういう人は「頑張る」ことをやめたほうがいいとボクも思います。

でも好きなことわくわくすることをついつい頑張っちゃうのはやればいいと思います。
ボクの場合は度が過ぎて、やりすぎて体壊すことが多かったから、ブレーキかけましたが。

最近は、やりたいことやりながら、体が疲れないように横になる時間を作るようになったから問題なくなってきました。
体休めながら、やりたいことをやることもできる方法を覚えました。

たとえば、スポーツ選手が筋肉を衰えさせないように毎日トレーニングしたり、ピアノの練習は指が忘れちゃうから毎日するとか、そういうのを「頑張れ」っていうことにはきっとみんな「頑張るな」って言わないですよね?

いつも出している力より、ちょっと余分に努力をプラスアルファしたほうが結果がうまく出ることもありますよね?

なにかの目的があって、そこに少し頑張りを入れたほうが加速がつくときは頑張ればいいんだと思います。

そこに無理が出てくるなら、頑張らなきゃいいと思います。
なんでもかんでも「頑張るな」っていうと、何もしなくなっちゃうひとがいるんですよね。
大きな勘違いだとボクは思います。

今はなんでもやってみるべきという人や、あとちょっとの努力で成果が出る人に「頑張るな」はやめてほしいと感じます。

今やめちゃいけない人が、「頑張るな」というのを読んでやめちゃうことを悲しく思います。

無理してやっている、「頑張る」ことをやめたほうがいいひとが頑張っちゃうんです。

ちゃんと意味をよく理解して自分のやり方に取り入れて欲しいとつねづね思います。

ちゃんと「頑張る」ことの苦しみ価値も両方分かっているひとは頑張ればいいのです。
それを理解しているだろうひとには、「心配」をせずに「応援」をしてあげればいいのです。

心配」が迷惑だと言ってるのではないですよ。
応援」が欲しくて言っているのではないですよ。

まあ、「頑張る」ひとも「心配する」ひとも「応援する」ひとも、選択する人の勝手ですけど。

あくまで、個人的見解です。

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