2014年4月18日金曜日

「第三の性」ってなに?

4月2日にオーストラリアの最高裁で「中立的な性別」を認める旨のニュースがありました。

↓ロイター記事はこちら。
「男でも女でもない」オーストラリアで"中立的な性別"を認める 最高裁が判決

そのとき、ボクは、「中立的な性別」って表現に違和感を感じました。
しかし、記事を読むと「男性でも女性でもない不特定な性別」という表現がしてあったので、それならトランスジェンダートランスセクシュアルの人たちにとって楽な生き方になるのなら、と思い支持をしました。
でも、バイセクシュアル非性愛者無性愛者は「中立な性」ではないように思ったし、この判決は何を意味するのだろうと少し疑問が残りました。

そんな矢先、4月15日にインドで「第三の性(サードジェンダー)」を認める最高さん判決が出たと新しいニュースが飛び込んできました。

↓Huffington Post 記事はこちら。
インド最高裁、「第三の性」を認める

インドでは、もともと男性でも女性でもない人をヒジュラー(ヒジュラ、ヒジュダともいう)と呼び、ヒンドゥー教の歴史にも登場し、ほかの国と少し違う歴史的背景があるかも知れません。

こういうセクシュアルマイノリティに寛容な国になるといいな、とは思いました。

しかし、何か釈然としないものが残りました。

第三の性」が出来ると、日本のように性同一性障害性別変更した人たちはどんな扱いになるのだろう?

ボクは性同一性障害ではなく、同性愛者だから、自分の性自認に違和感はないので、実質的になんの変わりもありません。
先に述べたバイセクシュアル非性愛者無性愛者は、自分の性自認とは違うところに違和感があるので、ここに当てはまらないと思います。

もともと、「第三の性」が取り沙汰されたのは、トランスジェンダートランスセクシュアルのためではなく、半陰陽の人たちや性別が判断できない人のために出てきた考え方だと思います。
そこに、トランスジェンダートランスセクシュアルの問題を付け加えていくと、ややこしくなります。

ふと思ったのは、「第三の性」というものが認められるとそれに当てはまらない人は「第四の性」というものが出てきたり、トランスの状態の人は「ちょっと男性よりの第三の性」とか「ちょっと女性よりの第三の性」とか出てこないんだろうか?
男性」と「第三の性」や「女性」と「第三の性」を行ったり来たりする人はいないんだろうか?

選択がふたつしかないから二極化が進むのであり、真反対であったり、裏表であったりするのだと思います。

日本ではこういう「第三の性」の議論はあまり表立っていないと思いますが、ここまで世界の各国が認識を変えてくれば、グローバルに見る必要が出てくると思います。
よく調べていませんが、出生時に遺伝子検査なんてしてないと思うんで、出生時に一旦は表面的に見える男性器の有無で「」か「」かが戸籍には記載されてしまうようになっていると思います。

日本には戸籍制度というものがあり、「男性」「女性」という括りがあるから、「父親」「母親」という概念が存在します。
第三の性」が認められると、それは親となったとき「父親」になるの?「母親」になるの?「第三の親」とかいうの?
トイレはどうするの?
公衆浴場はどうするの?
いろんな混乱が起こると思います。
いろんな側面から制度や環境を見直さないといけません。
そういう準備が整わないうちに、権利だけの視点から、それを良しとして良いのでしょうか?

オーストラリアやインドがそこまで議論されているかどうかはわかりませんが、単に選択肢として増えたから望ましいと簡単に決めつけていいのでしょうか?
オランダやフランスのような同性愛に寛容な国についても同じようなことを感じます。
混乱する人の方が多くないでしょうか?

マイノリティが生きやすいに越したことはありません。
否定しているわけではないのです。
非難もしません。
喜ばしいことだと思います。

同性間にも配偶者として適応されたほうがいいと思うし、不公平は少しでも少ないほうがいいと思います。

しかし、ボクが思うのは、社会的認知倫理的認知が広がらない限り、セクシュアルマイノリティの生きにくさはあまり変わらないと思うのです。
法の力を借り、法から変えて行って、社会の認知が広がるのであれば構いません。
今、必要なのは、そこにどういう苦しみがあり、そこの認識のなさがそういう社会的偏見を生み、セクシュアルマイノリティが生きにくくなっているか、の方ではないかと思うのです。

たとえば、性同一性障害の方の性適合手術だってまだまだ高額だし、手続きも大変です。
性別変更の手続きだってとても理に叶っていると思えません。
医学の分野も同時に進行していく必要があると思います。

こと、性同一性障害においては、法律医学社会的認知がバランスよく進まないと、うまく機能していきません。

そういうことを危惧しないでいられないのはボクだけでしょうか。

それをみんなが知らないふりでいいんでしょうか。

ここは後回しでいいのでしょうか。

そんなことを思った今日でした。

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