昨日、ある方と話していて、面白いことが起こりました。
ボクの話している内容に感動して、その方が感極まっていました。
そして、それを見たボクが込み上げてきました。
ボクは、自分のハナシを冷静にしゃべっているのに、その内容について、人の感情を通して込み上がってきたんです。
なんだか、三面鏡を見ているようでした。
それだけ、自分の感情には、素直に寄り添えていないんですよね、きっと。
冷静でいなければいけない、ハナシをするだけでこんな取り乱してはいけない、それはみっともない、そういう無意識があるんだと思います。
自分には向き合えている自信もあって、ちゃんとしていると思っているんだけど、そこに出てくる不安のようなものには、寄り添いきれていないと思いました。
もしかしたら、もうそんなことは大丈夫と、自分を肯定できているから、そう思うのかもしれませんが。
人の感極まっている様子を見ながら、自分の不安に気づいて寄り添っている感じって、いかに自分のことは見られていないのか、ってことですよね。
仕事として、また、日常として、人の気持ちには寄り添えるのに、自分のことは見えないもんですよね。
そうは言っても、毎日毎日自分の内面と向き合っているから、相当楽にはなってきています。
わけのわからない不安のようなものは今のボクにはほとんどありません。
ここで強く思ったのが、やはり「共感」の大切さです。
人はそもそも理解をされたい生き物なんですよね。
理解をされたいから話をするんだと思います。
理解をしたいから話を聞くんだと思います。
「共感」がないと「自尊心」が育たないということを前にこのブログで書きました。
そこで書いたのは、「人に共感される」ことの大切さと、「人に共感する」ことの大切さだったと思います。
でも、今回気づいたのは、「自分に共感する」ということの大切さです。
ここ最近、「自分にダメ出し」をすることがネガティヴの連鎖に繋がると書き続けています。
何か嫌な出来事があったとき、何か受け止められないことがあったとき、「そんな自分ってダメだ」って思うことがネガティヴスパイラルの始まりだと書き続けています。
その連鎖を止めることはどうしたらできるのか、と多くの方から質問を受けます。
いつもそのとき、自分にダメ出しをせずに、その状態をただ受け止めてください、と言っています。
でも、長いあいだ積み重ねてきた自分へのダメ出しは、そう簡単に変えられるものではありません。
そんなとき、ボクは、「そう思っちゃった自分って仕方ないよね」「そういう選択しかできなかったよね」と自分に寄り添っています。
育ってきた環境、時代背景、教育、親からの刷り込み、嫌な体験の数々で、ボクはそう思うようになってしまっていたんだ、それはそう思って仕方なかった、と思うようにしたんです。
自分の無意識の苦しみや不安に、せめて自分くらいは気づいてあげたいと思ったんです。
「共感」がないと「自尊心」が高まらない、でも、「共感してくれる人」がなかなかいない、というときに、「共感する人がいなくても大丈夫」と自分の気持ちを押し殺すと、それは鬱積していきます。
いつもボクは、自分が最大の自分の理解者になってあげてください、それが自分を大切にしているということです、といいます。
自分の本心を無視することは自分を虐待していることです、といいます。
それは、とても難しいことですが、自分の不安や苦しみに、自分が「共感」してあげればいいのです。
自分の感じている感情だから、「共感」できないわけがないですよね。
カウンセリングを学ぶと「受容」「共感」「自己一致」が大事だと教えられます。
このなかで、いちばん重要なのが「自己一致」だと言われます。
いちばん難しいのも「自己一致」だと言われます。
カウンセリングで言う「自己一致」はまた機会があればここに書きますが、もし、同業者の方で、「受容」「共感」は出来るけど、「自己一致」が難しいという方は、自分に「共感」してあげてください。
結構「自己一致」が楽になると思います。
昨日、三面鏡の中にいるような経験をしてみて、ボクはもっともっと自分に「共感」してあげたい、そう深く強く思いました。
「共感力」という本が書けそうです(笑)。
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