2013年10月11日金曜日

わたしはロランス

★ネタバレ注意★ストーリーあらすじすべて、結末にも触れているので観る予定のある方は注意してください
舞台はカナダ、ケベック州。モントリオールで国語の教師をしているロランスとフレッドはおしゃれでとてもお似合いのカップル。しかし、ロランスはずっと自分の体に違和感を覚えていた。そして遂に、35歳の誕生日、フレッドに、自分はトランスジェンダー(性同一性障害)だと告白する。ロランスの告白にフレッドは激高するも、いちばんの理解者になることを決める。母親のジュリエンヌ(ナタリー・バイ)は達観の境地だ。しかし、周囲の偏見と冷淡な視線にさらされ、次第にふたりのあい
だにも避けがたい葛藤と亀裂が広がり出す。女として生きていきたいと願ったロランスはスカートを身につけ、ストッキングとヒールをはいて学校へ行く。しかし学校の反応は求めていたものとは違った。ロランスは学校から解雇を言い渡される。教えることに情熱をかけるロランスは学校関係者に懇願するが認めてもらえない。偏見の固まりである、ある人物は「文章が書けるのだから、自身のことを小説にしたら?」と言う。落ち込むロランスを支えたのはもちろん恋人のフレッドだった。しかし、フレッドも限界だった。感情を顕にし、精神的にも不安定になる。やがて、ふたりには破局が訪れ、フレッドは結婚し子供を儲ける。ロランスは、文章を書くことに執着し、後に詩を書き成功を収める、若い女性と同棲する。フレッドを失った悲しみはいつも胸の奥底にあった。やがてその詩集はフレッドに贈られ、フレッドはロランスと再会することになる。ところが、喜びもつかの間、やはりふたりの溝は埋められなかった。話し合っても己の気持ちを押し付けるだけで最後はケンカになる。迷いや戸惑い、周囲の反対を乗り越えて、社会の偏見に遭いながら、ふたりはそれぞれの人生を歩むのだった。
 24歳にして長編映画を撮り上げたカナダ人監督グザヴィエ・ドランの3作品目。噂によると監督自身はゲイであるらしい。トランスジェンダーではないがある意味作品は全部自伝的な部分があると言っている。公開にあたり、漫画家のやまだないと氏が描き下ろしイラストとコメントを寄せているほか、各界のクリエイターが今作についてメッセージを寄せている。 本作は、昨年のカンヌ国際映画祭ある視点部門に正式出品され、高い評価を得、フレッドを演じたスザンヌ・クレマンは最優秀女優賞を受賞している。トロント国際映画祭では最優秀カナダ映画賞受賞を受賞した。ドラン監督に惚れ込んだガス・ヴァン・サント監督が全米公開時のプロデューサーを務めているのも話題。、監督・脚本・美術・衣装・編集・音楽をひとりでこなしているところも彼ならではの才気だと思う。主人公のロランスに『ぼくを葬る(おくる)』のメルヴィル・プポー、フレッドにスザンヌ・クレマン、ロランスの母親ジュリエンヌに『勝手に逃げろ/人生』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のナタリー・バイ、フレッドの妹にモニカ・ショクリ、フレッドの母親にソフィー・フォシェ、ジャーナリストにスーザン・アームグレンが扮している。
 169分という長丁場を、まばたきするのも惜しいほどの映像美で魅せてくれた本作品は、80年代90年代のファッション、カルチャー、音楽をふんだんに取り入れている。ザ・キュアー、デュランデュラン、デペッシュモード、ヴィサージ、ザ・ブルーナイル、などなど、ニューウェイブからオルタナティヴロックまで、グッとくるラインナップが散りばめられている。ロランス目線のショットの多用と、揺れ動き、ときには疾走するカメラワークは時に冗漫なシーンも飽きさせない。暴発寸前のふたりの痛ましいほどの感情の軋みをそのまま体現しているかのように感じさせるカメラワークだった。突然、ベートーベンが鳴り響き、居間のソファーの上に豪雨が降り注ぐかと思えば、空からカラフルな衣服が落ちてくる意表を突くシーンも、スタイリッシュで、奇をてらったものではなく、周到で綿密に計算された華麗なオペラ演出を見ているような感覚が残る。監督の手腕は誠実であり、緻密だった。
 前評判が高く、たくさんの方から奨められて観てみて、まずは音楽・映像・ファッションのスタイリッシュさに一気に引き込まれていった。ただそのスタイリッシュさはこの主人公のようなライフスタイルを表現するのに必要な要素という意味で、ストーリー全体から言えば、スタイリッシュというより官能美かも知れない。結局は壮大なラブストリーだ。しかし、ラブストーリーでありながら、「愛」の定義がややこしい。ストーリーの紹介部分でボクは「自分はトランスジェンダー(性同一性障害)だと告白する」と書いた。しかし、ロランスはひとことも、「トランスジェンダー」とも「性同一性障害」とも言っていない、ただ「自分は女だから女になりたい」と言っていただけだ。女性の服装も着るし化粧もする。でもフレッドが用意したカツラは決して被らない。カツラはロランスにとっての他人のごまかす嘘の表現に過ぎず、自分の中での女らしさの表現ではない。そのうえ、ロランスがパートナーに選ぶのはいつも女性。漫画家のやまだないと氏がこの映画を「おとこにうまれたから、おんなのひとを愛するんだろうか。おんなにうまれたから、おとこのひとを愛するんだろうか」と評した。素朴な疑問だが、セクシュアルマイノリティの当事者以外の人は、このあたりで混乱が始まるのだろう。ボクも同性愛者ではあるがトランスではないのでわかる部分とわかりにくい部分がある。性転換者が転換後の性のひとをパートナーの対象に選ぶというのはざらにある。男性から女性へのトランスジェンダーで女性になってレズビアンになったの、と説明するひともいる。性の多様性が社会に受け入れられていれば問題はない。ただ、ロランスは見てくれの表現は女性にこだわったけれど、恋愛対象においては性という壁カテゴリーを超えてしまったのだと思う。カテゴライズから抜け出てしまった。何度かの再会のうち、最後にロランスとフレッドはお互いにまだ愛し合っていることを確認し合うが、フレッドはロランスに「地上に戻ってきてよ」と言う。ロランスはこう答えた。「地上に? せっかくここまで・・・」と。愛し合っていても時空を共有できないから、一緒にいられないのだ。しかし、フレッドは違った。再会して抱き合うシーンでもフレッドの胸と局部を確認した。最後のふたりのシーンの後、ラスト、シーンは出会いに遡る。フレッドに声をかけてきた男らしい男性が名前を「ロランス・アリア」と名乗る。そこで、フレッドは満面の笑みを浮かべる。フレッドは明らかに男であるロランスを求めていたのだ。フレッドの場合、告白の時点で破局するべきだっと思う。ロランスは最初は男だったからフレッドを好きになったのかもしれないが、自分がどうしても女になりたいのと、フレッドを愛する理由は「男」でなければいけない理由はひとつもない。
 またこの映画に写真家の大橋仁氏が「誰もが各々の出方を伺いながら生き形作られる世の中、黙ってひっそりと他人に迷惑をかけない人生を送る事が調和だと誰もが言い聞かせ合っている。そんなものは調和ではない、鎖だ。牽制し合う鎖つきの調和などいらない、ぶつかり合う調和が欲しい。この映画を見てそう思った」と寄せた。まさにこの映画はぶつかり合いながら調和しようとしていた。このふたりはぶつかり合いながら「愛」を貫き通そうとした。ふたりの見ているそれぞれの「愛」の貌は違うのに「愛」への強烈な想いだけが重なり合っていた。愛する思いが強すぎるために貪欲に見返りを求めてしまう。そんなふたりの不器用な生き方はとても人間的で哀しい。
 この映画を観てかなり胸が苦しくなった。いい映画だと強く感じたが、セクシュアルマイノリティ当事者のボクが観ると、自分をさらけ出すことはこうしてひとつの騒ぎを起こしまわりのひとを巻き込み不幸にする可能性が高く、ひとに何か難儀なものを強制的にさせることになるのだということを痛感してしまうからだ。他者の目を介して困難に直面するなかで、他者への愛と自分自身への愛。どちらも損なわずに生きていくことは果たして可能なのかという問いに直面し、葛藤する。葛藤の描写がこの映画の非凡さだと思う。葛藤は、もの哀しげなのにどこか幸せ、耽美として観る側に印象を与えていく。



◎作品データ◎
『わたしはロランス』
原題:Laurence Anyways
2012年カナダ・フランス合作映画/上映時間:2時間48分
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:メルヴィル・プポー, ナタリー・バイ, スザンヌ・クレマン

2013年10月8日火曜日

コーチング・カウンセリングセッション at 東京 クライアント募集のお知らせ

今日はコーチング・カウンセリングのセッションのご案内です。
東京でもやっちゃいます。

セクシュアリティ勉強会 東京の部」を11月3日日曜日に開催するにあたり、そのまま東京に滞在して、11月5日の火曜日に東京にてコーチングやカウセリングのセッションをさせていただこうと決めました。

名古屋まで来られない関東圏の方で、ボクのコーチングセッションやカウセリングセッションを受けてみたい方、すでに電話やスカイプでボクのセッションを受けられた方のうち、対面でのセッションを希望する方、ぜひ、お問い合わせください。

東京 対面セッション クライアント募集
11月5日火曜日


午前10:00~12:00
午後14:00~16:00
午後18:00~20:00


上記時間帯で先着、合計3名様までお受け付け致します。

現在のところ、ボクは初回セッションはお試しということで無料になっていますので、実質ほぼどなたが申し込んでも東京では無料になると思います。
今年4月以降にボクのセッションを受けたことのない方は、結果的に無料になります。
ただし、新宿を拠点に移動しますので、東京都23区外でセッションを希望される方は東京都23区外に出る交通費だけご負担ください。
東京都23区内の公共交通機関で行けるところまでは、交通費は込みにさせていただきます。
東京の地理に詳しくないので、セッションの場所はご指定ください。
喫茶店などの飲食費は各個人負担、カラオケボックス・貸し部屋など場所代がかかる場合はご負担をお願いします。
今回は東京滞在のための募集なので、対面セッションに限定させてくださいね。
お会いできる方のみのお受付になります。

興味のある方はお早めにお問い合わせください。

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ)  豆腐

  Tel : 090(9262)8782
  携帯mail : torff_sessionroom@ezweb.ne.jp

このブログからもお申込みいただけます。

なかなか東京まで行って対面でセッションできる機会はないと思いますので、関東圏の方はぜひこぞってお問い合わせくださいね。

セクシュアリティ勉強会 東京の部」もよろしくお願いします。

2013年10月6日日曜日

「セクシュアリティ勉強会 東京の部」のご案内

先月、「セクシュアリティ勉強会 大阪の部 」を開催しましたが、な、なんと「セクシュアリティ勉強会 東京の部」を告知しちゃいます。

大阪のみならず、東京にも進出しますっ。

みなさんの心の中に、ほかの人とどこか違う、違和感に感じていることはありませんか? 
それは、もしかしたら、あなたにしかない光り輝く宝石のような個性かもしれません。
「性差」という視点から、その個性について一緒に勉強してみませんか。

セクシュアリティ勉強会 東京の部セクシュアリティ勉強会東京の部チラシ

日時 : 2013年11月3日 日曜日 13:30~16:30
場所 : 総合スポーツセンター 4階 第2会議室
参加費 : 2,500円
参加資格 : どなたでもご参加いただけます 先着20名様まで


「セクシュアリティ勉強会」も大阪に続き、東京で開催の運びとなりました。
どなたでもご参加いただけます。
性差という視点から、個性について一緒に勉強していきましょう。
今回から参加費が有料になりますが、よろしくご理解ください。
今回は「カミングアウト・レターズ」というテーマで開催します。
たくさんのご参加をお待ちいたしています。

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ)  豆腐

  Tel : 090(9262)8782
  携帯mail : torff_sessionroom@ezweb.ne.jp

このブログ「豆腐の Activity Life」、Facebook、mixiメッセージ、twitter、amebaメッセージなどからもお申し込み可能です。

定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。
お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。

主催:豆腐(協力:セクシュアリティ勉強会実行委員会)

また、今回も勉強会後に親睦会を予定しています。
懇親会の場所と時間と参加費は未定です。
3000~4000円くらいで、新宿か会場近くあたりで予定をしています。
親睦会の参加可否も併せて申し込んでください。
勉強会だけの参加でも結構ですし、親睦会だけの参加もOKです。

10月26日開催の「第12回セクシュアリティ勉強会 」もまだまだ参加者募集中です。

たくさんの参加表明お待ちしております。
よろしくお願いします。

感想をいただきました Vol.3

10月2日「豆腐の日」に、活動ブログ「豆腐の Activity Life」に祐子ちゃんのことを書きました。
祐子ちゃんのブログ記事のリンクは貼りましたが、改めて、ボクのブログに転載したいと思います。
祐子ちゃんから許可はいただいています。
ボクのブログの仕様に合うように改行などを編集したところはお赦しください。


10月2日は豆腐の日なんですね。

名古屋には「豆腐さん」という人がいます。

今日は豆腐さんについて書きたいことを書きます。

豆腐さんは、もちろん本名はちゃんとあるんだけど、名前を覚えるのが苦手な私も、「豆腐」と名乗られたら一生忘れないので、とってもいい名前だなぁと私は思います。

豆腐さんを知ったのは、二年くらい前。

ネットをたどって、~セクシャルマイノリティーコーチ~という聞きなれない言葉が、知識もない私を不思議に印象づけたのです。

マイノリティーとは少数派という意味で、世間では「変わり者」とも言われている人たちなのかもしれません。

「変わり者」的感覚は、セクシャル(性)に関わることならば、心身的欠落のように自らも思い悩み、世間はおろか、家族にも理解されづらいのが今の現状。

そんな中で、性差で悩む人たちに向けられたクライアントのターゲットをいきなり絞り込んで自ら自己開示し「ゲイです」と名乗っている人。

私は、いきなり湧いて出る衝動的行動を年に一度くらいはやってしまいます。
この年は多分この1回が豆腐さんに向けられたのです。

私は豆腐さんのコーチングを受けたのです。
その時の私は、そこいらのホコリのように見過ごすこともできるけど、ふと、気になって仕方がなくなるほどのモヤモヤが点在していました。

きっとそれは寂しさだったのだと今は思います。

豆腐さんからは、なぜ自分のコーチングを受ける気持ちになったのか質問されました。

私は、子供が4人、そのうえシングル、子供は障がいをもっていて、不登校の子もいて、その上自分自身はやりたいことをやろうとしている、こんな条件を備えている私はマイノリティーとも言えるかもしれません。
などとこじつけて説明したような気がします。

豆腐さんの話口調は、静かで淡々と、そして柔らかで。
私の今の状態にあったことを、ご自分の体験を混じえてフィードバックしてくれます。

「自己開示」を大切にされている豆腐さんが自ら投げ打ってくれたものが、私に「悩んでいるのはあなた一人ではない」と、孤立や孤独を緩めてくれるようなセッションでした。

とは言え、人間の記憶の都合上、その会話は私の吐き出したものと共に見事に消えていきました。

(自分のありのままを誰かに聴いてもらうことは、排便するのと同じぐらい大事なことなのだと私のこの消えた記憶が証明してます。)

しかし、一つ大きなインパクトを豆腐さんは残していかれたのです。

最後に、こう言ったのです。

「もし、話したかったら僕がいつでもあなたの話を聴きます」

初めて話した相手に、そんなに静かに真っ直ぐに、ある意味無責任に堂々と言った人は私にとって初めてでした。

~僕がいつでもあなたの話を聴きます。~

コーチとしては、クライアントの依存心を増幅させるリスクも伴う言葉。

私は、このマイノリティーな発言に、豆腐さんという人の落ち着きを含んだ人間の大きさを感じたのです。

豆腐さんの不思議な(?)大きさに惹かれていたのは、私だけではありませんでした。

先月、大阪で豆腐さん主催の勉強会がありました。
2人のスタッフさんもご一緒でした。

スタッフさんのことを豆腐さんは「クルー」と紹介しました。

クルーのお二人は自費で名古屋から、参加費も払って、さらにイベントの裏方もやっておられたのです。
(ちなみにその方たちはセクシャルマイノリティー(ゲイ)ではありません。)

勉強会は、奥深い内容でした。

自分の中にある、「私は人と違っているのではないか」と思える部分、例えば、身体、性格、思考、社会的立場・・・

私たちは、「変わり者、はみ出し者、さらには間違っている自分」と自己判断し、自分に思い悩みはじめます。

それは「性差」という切り口から語られているだけで、誰にも当てはまることでした。

「変わり者感」は個人の自由さにどこか不自由さをもたらします。

どうして私が私であることがこんなにも問題であるように感じられるのか、
自分のこれまで植えつけられた価値観との戦いのようなものが自己の中で起こるのです。

私は自分を内観しながら、話したり、聴いたりしました。

考え方やスキルを教えられたり、わぁーっと自分を出してスッキリするセミナーとはまったく質が違うものでした。

静かに内観して、新しい視点ももらって、家に持ち帰る、といった感じです。

~遠足は、家に帰るまでが遠足です~
ではなくて、
~家に帰ってからが遠足です~
といった感じです。

ですから今も、私の遠足は続いています。

勉強会が終わって、
懇親会の席で、「豆腐さんの魅力はどんなところですか?」私は「クルー」のお二人に聞きました。

自分はしたいけど、できないことをやってのける人、何だかわからないけど放ってはおけない人、私もなるほど、と思いました。

隣で別の方と話をしていた豆腐さんが、ふと私たちを見て、「どんな話してたの?」と聞きました。
私たちは、申し合わせもしないのに「豆腐さんの悪口!」と声を合わせて答えました。

豆腐さんは、僕は僕のいないところでそうやって話をしてもらえることがとっても嬉しいんだよ、と言っていました。

翌々日は、豆腐さんは私のために一日を丸ごと空けてくださいました。

私は子供たちも連れて海の見える緑地に豆腐さんを案内しました。

ゆっくり子供たちを遊ばせながら豆腐さんと話をしました。

~僕がいつでもあなたの話を聴きます。~
は、豆腐さんの中でごく自然に出た言葉で、またそれをごく自然にやってのける豆腐さんは大きな人でした。



ボクは、なんだか、泣けてしまいました。
あー、こうして人とのつながりを大切に生きていてよかったな、と思いました。
奇しくも、ボクが祐子ちゃんのことをブログに書こうとていたときだったので、シンクロみたいなものも感じました。

ありがたいことに、ブログに「セクシュアリティ勉強会 大阪の部」の報告と「東京の部」の案内までリンクしてもらって、さらにこんなことも添えてくださいました。


※ちなみに豆腐さんのコーチングやカウンセリングは、セクシャルマイノリティーの人には限定されていませんので。
セッションはゆっくり2時間。
しかも初回は無料なんです。



確かに、祐子ちゃんはセクマイではないね(笑)。

↓ボクの方の祐子ちゃんのことを書いたおとといの記事「シングルマザーというマイノリティ」はこちらから。
http://torff.blog.fc2.com/blog-entry-50.html

↓祐子ちゃんのブログ「ひとりぼっちのあなたへ」もよろしくお願いします。
http://ameblo.jp/hitoribocchinoanata/