2012年5月13日日曜日

活動の意味

今日は日常ブログ「豆腐の Ordinary Life 」にも書きましたが、「同性婚」と「非婚主義」のことに絡めて、ボクが今なぜ活動に駆り立てられているのかを書きます。

昨日、「情報7daysニュースキャスター」という番組の中でこんなやり取りがあったらしいです。ボクは見ていないので、その場の雰囲気とかまったくわからずに書くので、今から書くことが適切ではないかも知れないことを触れておきます。

オバマ大統領の同性婚支持ニュースを受けて、司会のビートたけしさんが「同性婚が認められたらそのうち動物との結婚も認められるようになったりね」と発言したようですね。そしてそのあと、コメンテーターの渡辺えり子さんが「どうしてそういうこと言うんですか。私は日本でも同性婚が認められたらいいのにと思いますよ」と発言したようです。さらにビートたけしさんは、「結婚した男2人が子ども育てるっていうけど、その子どもはどういう風になっていくんでしょうね。お前のお母さんはお父さん?とか言われるんじゃないの」と続け、渡辺えり子さんが「そうならないように皆がやっていけばいいんじゃないですか。愛をもって育てれば同じじゃないですか? 同性婚も異性婚も」と話したようです。想像の域を超えませんが、おそらくメンバーのキャラクターからして、深刻ではなく笑いを交えてそうなったことだと思います。まあ、ありがちな風景ですよね。しかし、セクシュアルマイノリティの人たちからすれば、大半の方がビートたけしさんは心無い発言をしてると思うだろうし、渡辺えり子さんあっぱれと思っているでしょう。セクシュアルマイノリティの方の中には同性婚に反対の方もいるので、それもよくわからないですが、瞬間的にはボクもそう感じます。

確かに、ゲイのカップルやレズビアンのカップルに育てられてすくすくと育つ場合もあるでしょう。受け止めきれずうまくいかない親子も存在すると思います。それは育て方もあると思うし、近所の対応や国柄といった社会によっても違うし、学校の対応も影響するでしょう。すべては、その子供がいい人生を送れたかどうかの結果で良し悪しを判断するしかないし、その判断も果たして必要かどうかもわかりません。その子供が自我が形成されてからどういう風に受け止めていくかも、親の影響もあるだろうけれど、子ども自身の選択もあるわけです。

ボクはこの日記と同じ内容の日常ブログ「豆腐の Ordinary Life」を「非婚主義者」のカテゴリーでブログエントリーしています。最初、「LGBT」のブログカテゴリーを捜したけれどなかったので、「非婚主義者」を選んだように記憶しています。でも、「非婚主義者」を選んだということは、たぶん「同性婚が認められてもボクは結婚しない」選択肢を選ぶんだろうな、っていうことが無意識下で決定されていたような気がします。もしかしたら、世の中に当たり前にそういうカップルがいて、婚姻制度の保護下に守られたいと思ったり、優遇を受けられたいと思ったり、同じ姓を名乗りたいと思ったりすれば、ボクも変化していくか知れません。ボクの周りのゲイやレズビアンの方にも、「結婚できたらなぁ」っていう人がたくさんいます。なので、制度が認められたらそれはそれでセクシュアルマイノリティの一人として多少寛容な世の中になったなぁ、という指標がボクの中にできると思います。今のところ、ボクの私生活においては同性婚が認められていないことには直接の不自由さは感じていないです。

ただ、「同性というだけで戸籍上の婚姻が認められない」という世の中は、われわれにとって少し生き苦しい要因を作っているのだと思います。直感的にというか、短絡的に見れば、ボクにはそこに不平等さを感じずにはいられません。本当に不平等かどうかはよくわかっていません。性同一性障害の方が条件を満たせば性別変更を戸籍上出来るようになったのは、なんとなくよかったと思えます。「なんとなく」というのは、認められたことによる弊害もあるかもしれないからです。もしかしたら、生き苦しいまま生きていくのが今の時代に今の日本に生まれたわれわれの宿命なのかもしれません。全体的に多少同性愛に寛容になったアメリカにおいて、たまたま今の大統領がそういう見識を持っていたのだということだとボクは認識しています。そして、日本はまだそこまではいっていないという風にボクは捉えているわけです。

ボクの姿勢は変わりません。今の日本で生きていくうえで、われわれはどうやってその生き苦しさを乗り越え、ある程度社会に反発していきながら、自分の意見を持ち、幸せを感じながら生きて行けるか、当事者には少しでも寄り添うことが出来るようなコーチングをし、社会への反発やボクが感じている程度の不平等さについて多少社会に歩み寄ってほしいと思う部分を勉強会でやっていく、ただ、それだけです。自分の感じている使命はそれで、今のところのそれがボクの生きていきたい道ややっていきたい活動だと自己認識しています。

とてもいい機会だと思ったので、そこに触れてみました。読んでくれた読者の方、ありがとうございました。反対意見あって当然ですので、もし何か思うことがあったら教えてほしいと思います。小難しい長々とした文章になったことをお詫び申し上げます。