2011年3月14日月曜日

ジャニス・イアン

 お久しぶりです。いろいろあって暫く自重していました。今日はジャニス・イアンです。
 ジャニス・イアンは1957年4月7日アメリカのブロンクスに生まれ、ニュージャージーに移り住んでいる。東欧ユダヤ系の家系に育った彼女は、2歳でピアノを始め10歳で曲を書き始めた。
 15歳の時、ニューヨークのガスライトで歌っていたところをスカウトされ、1966年に「ソサエティーズ・チャイルド」という曲でミュージシャンとしてデビュー、人種差別を歌って天才少女と騒がれた。黒人少年と白人少女の恋を歌い、ラジオで放送禁止になったりした。翌年のアルバム『愛の翳り』でいきなりグラミー賞にノミネート。数枚のアルバムを発表した後に、天才という社会評価のプレッシャーから引退状態になり、一時はカメラマンと結婚して普通の主婦となる。しかし、そののち離婚、1972年に「ジェシー」という楽曲がメディアに取り上げられ話題になり、1974年にアルバム『スターズ』で復帰。翌年「17才の頃」が大ヒットし、アルバム『愛の回想録』も世界的にヒット、グラミー賞も受賞した。その後は本国アメリカよりも日本とヨーロッパで人気を博し、特に日本では1976年の坂口良子主演のTBS系ドラマ「グッドバイ・ママ」のドラマ音楽を手がけ、主題歌の「恋は盲目」が洋楽異例のヒットを飛ばした。同曲の収録された『愛の余韻』は日本の洋楽チャートで半年間1位を獲得している。翌年に発売された『奇跡の街』に収録されていた「ウィル・ユー・ダンス」がTBS系のドラマ「岸辺のアルバム」の主題歌に起用され、彼女の日本でのピークを迎える。日本だけでミリオンセラーになった。1978年に初来日、1980年には日本映画『復活の日』のテーマに「ユー・アー・ラブ」が採用され、ヒットした。
 1980年代は彼女の波乱の幕開けが始まり、2度目の結婚をするも、家庭内暴力から破綻、金銭上のトラブルもあり、破産寸前まで追い込まれたり、大病に倒れたりもした。
 2003年に彼女はレズビアンであることをカミングアウト、長年のパートナーだった女性マネージャーであり弁護士のパトリシア・シュナイダーと正式に結婚して話題になった。同性婚の認められているカナダのトロントで挙式している。「カミングアウトしたことで無駄なエネルギーを使うことがなくなり、作曲に集中できるようになった」と本人は語っている。
 中島みゆきのトリビュートとして「ヘッドライト・テールライト」をジャニス自身の歌詞でカヴァーし、久しぶりに歌声を聴かせてくれた。南沙織に楽曲「哀しい妖精」を提供したこともある。椎名林檎は「恋は盲目」をカヴァー、アンジェラ・アキとは今現在交流もある。
 ボクの最初にはまった洋楽が彼女でした。中学の時でした。ジャジーでメロウなメロディは大人ぶって聞いてたボクの耳を新しい感覚で刺激しました。最近、めちゃくちゃ聞きたくなって、レンタルしようとしても無くて、YouTubeとかで聴いています。そのころから同じ種類の人間の匂いをボクは嗅ぎつけていたのかもしれませんね。