2009年11月17日火曜日

愛についてのキンゼイ・レポート

 インディアナ大学の動物学の助教授であるアルフレッド・C・キンゼイは、父親との確執があった。エンジニアであり、教会の日曜学校で講師を勤めていた父はあまりに厳格で、性に対して極めて禁欲的だった。アルフレッドと弟ロバートとを自分と同じエンジニアにするため工科大学への進学を勧めるが、幼いころから単独で生物の観察に勤しんでいたアルフレッドは生物学への傾倒を抑えがたく、密かにた貯め込んでいた奨学金でボードン大学に再入学、父と訣別した。生物学と心理学を修め、更にハーバード大学で分類学博士号を取得すると、インディアナ大学で教鞭を執るようになったアルフレッド・キンゼイ博士は、タマバチ研究に全精力を傾注する。最終的に10万匹に及ぶ個体を標本として採集し、その多種多様な生態を分析した博士は、タマバチ研究における第一人者としての地位を確立する。変人であったが学生と親しく付き合った博士は、“Professor Kinsey”を略した愛称プロックの名で呼ばれ、学生達から慕われていた。そんな教え子のひとり、クララと恋に落ち結婚。だが、そんなふたりに立ちはだかった最初の障害は、父の存在ではなく、セックスの問題だった。どうしても痛みを伴うクララに無理強いは出来ず、遂にキンゼイは専門家に相談するという、単純なようでいて、当時の価値観からすると革命的な発想に辿りついた。そうして性に関する問題を克服したふたりは、より深い絆で結ばれることとなる。同時に妻との新婚当時の経験から、キンゼイは大学で性の悩みを持つ同僚や学生達の相談に乗っているうちに、結婚講座を開講するが、セックスをもっと科学的に研究する必要があると感じ、各地を旅しながら様々な1万8千人もの人々に350の質問を投げかけ、にインタビューを試みる。助手たちにも、個別面接で「性」のデーターを収集するよう命じる。助手たちはキンゼイと面接の方法を試行錯誤する。1948年出版の「キンゼイ・レポート」は世界中にセンセーションを巻き起こすと同時に、キンゼイの人生を変えてしまう。数々の苦難を乗り越え、キンゼイはの真実を見出すことができるのか。
 1万8千人にインタビューを行い、「性」の実態のリサーチに生涯をかけた実在の学者、キンゼイ博士の生涯を描いた感動作。『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンがキンゼイ博士を演じる。本作でゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。監督は『ゴット・アンド・モンスター』のビル・コンドン。製作総指揮にフランシス・フォード・コッポラが名を連ねている。本作でゴールデン・グローブ賞、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたローラ・リニーの熱演に注目。

 今でこそ、赤裸々なSEXレポートが普通の女性誌に登場する時代だが、この映画の舞台となる今から50年前のアメリカは、そんな話はとんでもなく御法度。そんな時代に、性の実態のリサーチに本気で取り組み、生涯を捧げた実在の学者・キンゼイ博士の波乱の生涯を描いた伝記映画だ。本業は動物学者のアルフレッド・キンゼイ博士が、自身のSEXの悩みで医者の門を叩いたことから、「性」体験の実態に興味を持ち始める。その心は、人は千差万別、人と違って当たり前。それを知らずに悩める人々の助けになれば、と始まった調査。独自のインタビュー方法を編み出し、多くの男女から様々な性の実体験、人には言いづらい秘密を調べ上げ、まとめた「キンゼイ・レポート」は驚異の大ベストセラーに。ところがあることがきっかけで、彼の栄光は失墜する。研究にのめりこむあまり、人間社会の倫理を踏み越え、夫婦間以外のセックスを是としたりする研究員らの関係は、やはり衝撃的だ。特に驚くのが、アメリカ社会の、セックスに対する閉鎖性だ。男性の性意識調査を拍手で迎えた社会が、女性版になるとバッシングの嵐に変わる。自由の国アメリカは、同時にセックスを罪悪視するピューリタンの国でもあったと、今さらながら痛感させられた。どんなセックスにも偏見を持たなかったキンゼイを、今、描く意味がある。それにしても、興味や疑問を持つと追跡調査&実験してみないと気がすまない、キンゼイの学者キャラが面白い。元々彼には同性愛の志向もあったらしいのだが、助手の一人がゲイと知り、さっそく実験に及んでしまうシーンもある。しかし物語は、博士と妻クララの強い絆と愛、それゆえの葛藤を軸に、研究に没頭する彼が行き着く先まで、追いかけていく。そこに真実の愛の重みと感動がある。リーアム・ニーソンとローラ・リニーの芸達者が、若年から老年までを演じ切り、魅せる。

 ここで、ちょっとゲイブログらしいエピソードを書くと、途中生徒と関係を持つシーン、クリス・オドネルの全裸シーンがモザイクもなしに出てくる。びっくりした。ここはゲイ必見かもしれない。
 結果、辿り着いたのは、人間は一人一人違うのが当たり前だということだった。性行為の分析を通して、人間には"多数派と少数派"が存在するだけで、"ノーマルとアブノーマル"という分け方はないと主張したのだ。それは、"自分らしく生きたい"という、現代社会では誰もが抱く願いを持つ人々に、勇気と希望を与えたのだ。そしてさらに、結局人間にとっていちばん大切なものは、科学では測定不可能のだという、たったひとつの答えにたどり着いたのだ。依然困難の予想される未来を前にしながら、穏やかな境地に辿りついた彼の姿を遠く追って物語は幕を引く。


◎作品データ◎
『愛についてのキンゼイ・レポート』
原題:
Kinsey
2004
年アメリカ・ドイツ合作映画/上映時間:1時間58

監督:ビル・コンドン

出演:リーアム・ニーソン, ローラ・リニー, クリス・オドネル, ティモシー・ハットン, ジョン・リスゴー

2009年11月13日金曜日

橋口亮輔

 橋口亮輔は1962年7月13日長崎県出身の日本の映画監督、脚本家。大阪芸術大学映像計画学科中退。高校1年生の頃から自主制作で映画を撮り始め1985年に映画監督・脚本家として活動を始める。1989年、ぴあフィルムフェスティバルに出品した『夕べの秘密』がぴあフィルムフェスティバルアワードグランプリを受賞して高く評価を受ける。テレビ局でアシスタントディレクターの活動を経て、1992年にぴあフィルムフェスティバルスカラシップを得て映画撮影を再開。1993年に『二十才の微熱』で劇場映画監督としてデビュー。この頃自身がゲイであることを公表。1995年『渚のシンドバッド』がロッテルダム国際映画祭でグランプリとトリノ国際ゲイ&レズビアン映画祭グランプリを、国内では毎日映画コンクール最優秀脚本賞とキネマ旬報ベストテンで第10位と評価された。2001年『ハッシュ!』はカンヌ国際映画祭において監督週間部門正式招待作品となった他、ヨコハマ映画祭ベスト10第1位と監督賞、キネマ旬報ベストテン第2位と高く評価された。この辺では必ずテーマや背景に同性愛を取り上げ、精力的に啓発を続ける。その直後にうつ病を経験したと言われているが、完治後はその体験を生かし、2008年『ぐるりのこと。』を発表した。この『ぐるりのこと。』は毎日映画コンクール日本映画優秀賞と最優秀脚本賞受賞、山路ふみ子映画賞、報知映画賞監督賞受賞、ヨコハマ映画祭ベスト10第2位、キネマ旬報ベストテン 第2位とすべての作品が評価されている。俳優としても『渚のシンドバッド』に精神科医師役で出演するなど、各作品でカメオ出演している。

すべての作品が心痛いが、特に『ぐるりのこと。』は興味深い。事件を客観的に写しとる法廷画家という職人の視点と、鬱病の妻を支える夫の視点、ふたつの視点を絡め社会の闇を浮き彫りにしながら、人の生き方を問う。橋口亮輔監督の6年ぶりの新作だった。「鬱病や訴訟問題に巻き込まれた私自身の辛い経験がこの作品に結実したと思う。6年は無駄ではなかった」と監督は振り返っている。仕事にあぶれ、靴修理屋でアルバイトをしている画家のカナオは知人の紹介で、公判中の被告人をスケッチする法廷画家の職に就く。妻、翔子は出版社の編集者。2人の幸せな暮らしは翔子の流産で歯車が狂い始める。世界が認めた『ハッシュ!』から新作完成まで6年を費やしている。監督は自分やその周囲で起こったこと、さらに社会で起こった事件や事故を、「鬱病」や「法廷画家」というキーワードに絡めとりながら脚本に仕上げていった。 キャストで異色なのは主人公にイラストレーターのリリーを指名したこと。かつて、一緒に仕事をした経験と彼の小説「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン」を読んで、この人しかいないと思ったという。リリー・フランキーも返事をするのに3カ月悩んだという。さらにこだわったのが妻役の木村多江の配役。彼女を待つため、撮影スケジュールを遅らせたという。ふたり以外では撮れなかったと語る監督。カナオが傍聴する裁判はいずれも社会を震撼させた事件がモチーフになっている。地下鉄サリン事件、連続幼女誘拐殺人事件、大阪・池田小事件、等々。監督はこれら事件にかかわる膨大な裁判資料を読み込み、巧みに映像化していくことで、当時の社会の闇をあぶり出すように描きあげた。個人的に訴訟にも巻き込まれ、そんな時期に耐震偽装問題が起こり、監督は窮地に陥る。なぜ落ち度のない人間がつらい状況に陥らなければならないのか。自分の人生と社会がシンクロしていったというのだ。いつから日本人はこんな風になってしまったのか。法廷画家として、ひとりの男として。カナオは不正や悪、理不尽さから目をそらさず、素直に嘆き、怒り、真正面から社会と対峙する。カナオの心の叫びを橋口はつぶさにフィルムに焼き付けていく。

この映画で初めて同性愛を問わない映画に仕上げた。新しく、鬱という彼にとっての問題点が露呈してきたからだろうと思う。このブログにいちばん関係のない映画のことをたくさん書いてしまったが、それまでの監督の作品、これは同性愛者は必見である。監督の生きざまそのものがスクリーンから溢れだしてきているから。

2009年11月8日日曜日

めぐりあう時間たち

 3つの時代の、3人の女たちの、それぞれの1日が始まろうとしていた。1923年、イギリスのロンドン郊外、リッチモンド。作家であるヴァージニア・ウルフの病気療養のため夫妻で移り住んできた。物静で優しい夫のレナードをよそに、彼女は書斎でゆっくりと呟く。「……ミセス・ダロウェイは言った、花は私が買ってくるわ」。傑作「ダロウェイ夫人」が仕上がろうとしていた。1951年、ロサンゼルス。閑静な住宅地に住む主婦ローラ・ブラウンは、ベッドの中で1冊の本を手にしている。「……ミセス・ダロウェイは言った、花は私が買ってくるわ」。ローラは夫ダンの求める主婦像を演じることに疲れ果てていた。夫の誕生日、パーティのために息子リッチーと一緒にバースデイケーキを作り始めた。そして現代2001年、ニューヨーク。編集者クラリッサ・ヴォーンは、同棲している恋人サリーに言った。「サリー、花は私が買ってくるわ」。エイズに冒されている親しい友人の作家リチャードが栄誉ある賞を受賞したのを知り、元気付けるためにクラリッサは祝賀パーティを企画した。話は戻って同じ日のヴァージニア、自宅に、姉のヴァネッサが訪ねて来た。ロンドンでの話に花を咲かせる。夕方、突然ヴァージニアはロンドンに向うため駅へと向かった。後を追った夫レナードに、すべての苦悩を爆発させるヴァージニア。彼は彼女の叫びにロンドンへ戻ることに同意するのだった。ローラは息子と作ったバースディケーキがうまく仕上がらず、いらつく彼女のところへ親友のキティがやってきた。キティを見送った後、綺麗にバースデイ・ケーキを作り直せたローラは、ある決意を胸にノルマンディ・ホテルへと向かった。クラリッサはパーティの準備をしていた。リチャードの元恋人ルイスが訪ねてきた。ルイスとリチャードは、昔話をし始めた。懐かしい日々の話を聞いてクラリッサは泣き始める。昔、リチャードが自分につけたニックネーム「ミセス・ダロウェイ」を忘れられず、彼の世話を何年も続け感情を抑え込んで生きてきた。夜が訪れる。3つの時代の、3人の女たちの1日は、それぞれ終わりへを迎えていた。時間・場所の違う3人の女性の1日がはじまり、終わり、「ダロウェイ夫人」を通じて3人の関係が繋がっていった。
監督は『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルトリー。『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』と監督作3作ともがアカデミー賞で作品賞と監督賞にノミネートされている。本作ではアカデミー賞で9部門にノミネートされ、特殊メイクをしてヴァージニア・ウルフをそっくりに演じたニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞をはじめジュリアン・ムーア、メリル・ストリープの3人ともが数々の演技賞を受賞している。3人は、それぞれ設定が違う時代だったため、撮影でいちども顔を合わせなかったらしい。当初はアンソニー・ミンゲラが監督する予定だった。
時を超えて企画される3つのパーティ。ひとつは1923年ロンドン郊外、「ダロウェイ夫人」執筆中の作家ヴァージニア・ウルフが姉とティータイムをするため。ひとつは1951年ロサンジェルス、「ダロウェイ夫人」を読む妊娠した主婦ローラが夫のために催す誕生パーティ。そして現代、2001年ニューヨーク、「ダロウェイ夫人」と同じあだ名を持つ編集者クラリッサのエイズで死に行く友人の作家を祝福するために受賞パーティ。それぞれの時間に生きる3人の女が、「ダロウェイ夫人」をキーワードに繋がってゆく。自分の居場所を見つけ、自分らしく生きていく人生を送るのは、難しい。映画はある1日を引きずり出して、我々に問いかける。ケーキをつくるのは夫を愛している証拠と息子に言いながら主婦ローラは、誰のために生きているかわからない。何年も自分を抑えながら愛する友人の看護をするクラリッサは、それでも自分の思い通り人工授精で娘を産んでいたりもする。精神を患い、夫を思う作家ヴァージニアには自ら死を選んでいく方法るしかなかった。人は皆、多かれ少なかれ、自分の生きている時間と周囲に縛られて生きている。その中で、どう考え行動するか、強く訴えかけてくる。時間軸が飛び交い疲れそうに思うが、実によく整理され、テーマは難解でありながら、オープニングからクライマックスまで一気に引き込まれてゆく。とても知的な映画であり、深いテーマを持っている。3つのエピソードが絡まっていく構成と主演女優たちのアンサンブルが実に見事であり、脇を演じるエド・ハリス、トニ・コレット、クレア・デーンズ、ミランダ・リチャードソンなども素晴らしい。ボクは中でもエド・ハリスを評価したい。生と死、家族、愛、セクシャリティ、孤独といった事柄が彼によって重量を増したと思う。地味にスルーされているが、もっと評価されていい映画だと思う。
と、ここで、このブログに何が関係してくるかというと、エド・ハリス演じる作家のリチャードだ。彼はエイズに侵されている。この物語の中で、彼の存在はなくてもいいような脇役に感じる。しかし、そうではない。彼は、メリル・ストリーぷ演じるクラりッサと、ローラとヴァージニアを繋ぐ「ダロウェイ夫人」というキーワード、クラりッサにリチャードがつけた「ダロウェイ夫人」というニックネームがなければ3人は繋がらないのだ。リチャードは自分の短い先の人生を儚んで、目の前で窓から飛び降り、自殺を図る。これは、クラリッサにとってあまりにもつらい出来事なのだ。リチャードを理解してくれる数少ない人間たちの相関図を、リチャードの目線からも見てほしい。そう思って取り上げた。あまりにも悲しい末路なのだから。

◎作品データ◎
『めぐりあう時間たち』
原題:The Hours
2002年アメリカ・イギリス合作映画/上映時間:1時間55分
監督:スティーヴン・ダルトリー
出演:ニコール・キッドマン, ジュリアン・ムーア, メリル・ストリープ, エド・ハリス, トニ・コレット