2008年4月27日日曜日

トランスアメリカ


 若い頃から男性であることに違和感を抱き、女性として独りLAで慎ましい生活を送るブリー。肉体的にも女性になるため最後の手術を控えていた。その矢先彼女の前に、突然トピーという少年が出現。スタンリーという名の父親を捜しているという。彼はブリーが男性だったころにたった一度の経験で出来た息子であることが判明する。しぶしぶ自分の手術費用を使ってニューヨークへ向かうブリー。ブリーは、自分の正体を明かさないまま、トビーを継父の暮らすケンタッキーへ送り届けようとする。
女性の心を持ちながら、体は男性として生まれてしまった性同一性障害の主人公の葛藤をモチーフにしたハートフルなロードムービー。愛を忘れてしまった親、愛を知らない息子の複雑な関係を、新進気鋭の監督ダンカン・タッカーが、初監督作品とは思えない手腕で描き出す。出会う予定ではなかったはずの、お互いに痛み多き人生を歩んできた2人が、この特別な旅を通じて成長してゆく様子を、ユーモラスであり、そして切なく描いている。
 まずは父親から。TVドラマ「デスパレートな妻たち」の女優フェリシティ・ハフマンが、性同一性障害の中年男に扮し、夢と親心の間で揺れるヒロインを好演している。女性に変わる直前の男性、という難役を、絶妙なぎこちなさと圧倒的なリアリティで演じきり、アカデミー主演女優賞にノミネートされたほか、ゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得するなど高い評価を受けた。ときどき出てしまう男の癖などを微妙に演じているところに凄さがある。この人物像を作り上げた彼女も凄いが、それを引き出したダンカン・タッカーの演出と脚本も凄いのだと思う。
 そして息子、本当の父親の姿を知らないまま、ドラッグや売春に手を染める息子のトビー。彼も、難しい心理描写をさわやかに演じている。彼あってフェリシティ・ハフマンの演技は生きていると言える。父親を肉体関係へ誘う様子は実にうまく演じている。
 タイトルの『トランスアメリカ』は「アメリカ大陸横断」の意味で、第三の性を表す「トランスジェンダー」に掛けたものだ。保険会社にも「トランスアメリカ」という名の会社があったりしてウェブサイトで名前が交錯して問題が起きたりしたというエピソードがある。また、ボードゲームにも「トランスアメリカ」というのがあり、自分が指定されたアメリカ大陸の五都市を線路で繋げることを目指すゲームなのだが、父親・母親・息子そしてそれぞれの過去とを結び付ける線を捜すゲームの意味合いも含ませているとは読み過ぎか。ドリー・パートンがこの映画のために書き下ろした「Travelin' Thru」も歌曲賞でオスカーにノミネートされた。受賞こそ逃したがこれがまたいい。
 人間ドラマとも言えるしロードムービーともとれるこの映画は、まず自分が父と名乗れないことから親切な教会の女の人を装い、トビーの父親探しの旅に付き合うことにするところから最初の軋みが始まる。幼い頃に父に捨てられた息子が、その父と知らず奇妙な女と旅をするわけだ。2人の再会にはじまるが、彼にとっては初対面だ。道中全ての出来事が、ある一定の緊張と距離を保ちながら進んで行く。これが妙なおかしさを醸し出している。ブリーは息子に懺悔の気持ちと、真実を語れない後ろめたさを感じている。トビーは、それを愛と勘違いし、愛を告白してしまう。だがそのおかしさは胸の詰まる思いのするおかしさだ。少しずつ近づいていく2人に、突然また軋みが訪れる。トビーがブリーは男であると知ってしまうのだ。性同一性障害本人が抱える苦悩、その家族の想いやり、胸に残る感慨は深い。ブリーは、手術費を稼ぐためにいやな仕事を齷齪掛け持ちした。友人の人もいない彼女は、そのひとの目に触れない仕事で、見えない存在となり、完全に女性になったら、過去を捨てて人生をゼロからやり直そうと考えていた。彼女の母親とのやりとりからは、ブリーが現在のような運命をたどった理由の一端が垣間見られる。かつて息子を自分の思いのままにしようとした母親は、今度は孫に同じ思いをさせようとする。そして、実家から飛び出してストリートキッズとなったトビーは、いたたまれずに実家から飛び出したブリーを理解する。おそらく監督は性同一性障害を抱えてしまった不幸な人間ではなく、ひとから理解されない人間の不安や孤独を描きたかったのではないだろうか。これだけではなく背景には、実際の母親はこっそりトビーを産んで夫のDVに遭っている。夫はトビーを手籠にする。そしてトビーもゲイとなる。警察沙汰も起こす。背景は多すぎる。監督の主人公や息子に対する細やかな描写とは裏腹に、詰め込まれ過ぎた背景がすべて重すぎて綿密に描き切れていないのが残念だ。でも、多分、それは複雑であればあるほど主人公は混乱し、逃げようとする人格を形成してしまったり、嘘を貫き通そうとしたり、その結果、完全な父親にはなれず、かといって母親にもなれず、もっといえば完全な女性にもなりきれず、完全な人間にもなりきれなかったのではないだろうか。自分のなぜかこんな風になってしまった運命がはっきりしていれば、もう少しましな人生が送れた気がする。だから、その辺は単なる背景として見ればよいのだ、きっと。詳しく描く必要のない、でも要因として含みたかった過去のエピソードなんだろう。とはいえ、残念ながらその辺の雑さは軽薄とはいかないまでも、軽い映画になってしまったのは事実だ。重い映画である必要はないし、これでいいのだろう。しかし、もっと苦悩を伝えるのなら話は別だ。その辺が難しい。もっと痛みを直接に感じる切なさを持っていてもよかった気はする。煮え切らない中途半端さが残る。
 しかし、最後には手術をして強い女性になりそうな片鱗を窺わせて終わるから、この映画はそれでいい。そう、思う。
 最後にこのサイトならではの感想をひとつ。立ちションで男がばれるのはいただけない。この女優、立ちションだけは下手だったと思う。しょうがないか。

◎作品データ◎
『トランスアメリカ』
原題:Transamerica
2005年アメリカ映画/上映時間:1時間43分
監督:ダンカン・タッカー
出演:フェリシティ・ハフマン,ケヴィン・セガーズ,フィオヌラ・フラナガン,エリザベス・ペーニャ,グレアム・グリーン

2008年4月19日土曜日

中村 中


 中村中の出現は衝撃的だった。
ボクがはじめて彼女を見たのはフジテレビ系TV番組「僕らの音楽」。おととしの9月に安藤優子のインタビューに答える形の対談で、自らの生きざまを語り、ボクらにまざまざと見せつけた。涙をしながら語る彼女のひと言ひと言が重く重く圧し掛かる。そして岩崎宏美とのデュエットによる「友達の詩」の披露。この歌詞の深みに15歳の時の詩とは思えない表現力と力強い弱さを痛烈に感じた。
 正直、このあといくら彼女を見ても、このときの衝撃には敵わない。
 本名、中村中(ナカムラ アタル)、昭和60年6月28日東京墨田区に生まれる。
 現在22歳のシンガーソングライター。
 幼少より母が歌っていた研ナオコの「泣かせて」をきっかけに歌謡曲に親しみ、歌う事以外にほとんど興味を示さなかった。10代初め、自身の声に違和感を覚えだし、人前で声を出すことを嫌うようになる。そしてピアノを始めた。15歳から作曲を始め、自己表現を歌詞で見せつけ、独特の感性を作り上げた。自分の声と向き合うことに悩むが自分の想いは自分の声で伝えなければならないとキーを試行錯誤し、自ら歌うことを決意し、結果、その声は、ボクらの心を捉えた。
 2006年6月25日、エイベックスのシークレットライブに出演、同年6月28日、21歳の誕生日にシングル「汚れた下着」でデビューする。舞台にも歌姫役としての出演を経て、その年の9月6日に、「友達の詩」を、満を持してリリース。以降の活躍は言うまでもない。オリコンでベストテンに入り、紅白歌合戦にも出場を果たす。

 性同一性障害。ボクは性同一性障害ではないが、恋愛対象にマイノリティを感じるのは同じだ。そこに生まれる軋みやしがらみは似通っている。彼女はそれを売りにすることに嫌悪感を憶えた。しかし、それを隠していては真実の自分を表現できない。彼女はどう見ても女性にしか見えない。ニューハーフにも見えない。彼女の確固たる自我と勇気には脱帽する。
 彼女のオフィシャルサイト「恋愛中毒」でブログをときどき覗いたりする。実は、じっくりアルバムを全曲聴いたとか、彼女のドラマや舞台を見たわけではない。ボクは直接の彼女のインタビューやメッセージがいちばん気になる。歌もきちんと聴いたのは「友達の詩」と「汚れた下着」くらいだ。「友達の詩」以外はそんなに無茶苦茶好きだということはない。ただすごく気になる人物、興味のある人物であることは確かだ。
 ボクは、周りにカミングアウトをしていない。ただ、執拗に隠しているわけではない。“公表していない”だけだ。病気(鬱)のせいもあるが、わざわざパワーのないときに荒波に飛び込む必要がないと思っているだけ。でも、公表すれば、楽になるかもしれないが、生理的に受け入れられない人は出てくるだろうし、接し方が変わっていくと思う。鬱をカミングアウトするだけでもこんなに大変なんだから、ゲイをカミングアウトすることはもっと大変だろう。二重苦だ。ここでだけは正直になろうとしたわけで、多分、ボクが書いている他のブログとは思い入れも違い、大胆さも違うだろう。豆腐で検索すれば、このブログも検索出来てしまうかもしれない。そのデメリットさえ、覚悟の上での行動だ。立ち向かいたいとか、社会と闘いたいとか、自分を認めてもらいたいとか、ハラスメントに問題提起しようとか考えていない。ただ、素顔の自分を吐露したいと思うだけだ。

 彼女の歩いた道を良く見つめて、自分の人生の、生き方の、参考にさせてもらいたい。力をもらいたい。

2008年4月17日木曜日

マイ・プライベート・アイダホ


 ナルコレプシー―緊張すると睡眠発作を起こし意識がなくなる―この持病を持つマイクはポートランドの街角に立ち、体を売っては日々暮らしていたストリートキッズ。そんなマイクにはポートランド市長の父を持つ親友のスコットがいた。彼も男娼をしていた。ある日マイクは、スコットに愛を打ち明ける。それを受け入れきれないで理解しようとするスコットはマイクを捨てた母をマイクと一緒に捜す決心をする。兄リチャードが暮らす故郷アイダホ、その道路はマイクにとってとっておきの風景だった。会えば喧嘩をする兄から手掛かりを得、スネーク・リバー、イタリアへと旅をする2人。しかしマイクは、イタリアで、スコットとは進む道が違うことを思い知らされる。イタリアで恋に落ちたスコットは、父親が病魔に冒されていることを知り、21歳の誕生日を境に生まれかわることを秘かに自分自身に誓い彼女をフィアンセとする。一方、マイクは母がアメリカヘ帰るといったまま消息を断ったという知らせを聞き、悲しみにくれる。マイクは淋しく独りでポートランドに帰り着き、またホモの男たちに抱かれる毎日へと戻った。キッズたちを仕切っていたボブを、高級スーツに身を包んだスコットは、冷たくつきはなした。深い絶望の中、ボブは自らの命を絶つ。彼の葬儀の日、スコットの父の葬儀も行われ、立派な儀式の隣りで、ボブへのキッズたちの心からの弔いが行われる。スコットとマイクは目と目を合わせるが、2人はもはやお互いが遠く離れてしまったことを思い知るだけだった。1人きりになったマイクは、アイダホの長い1本道でナルコレプシーの発作によって眠り続ける。1台の車が通りかかり金と荷物を奪っていく。さらに、1台の車がやってきてまだ眠っているマイクを連れて通り過ぎていった。

 ホモセクシャル、近親相姦という要素をバックグラウンドにし、一風変わったロード・ムービーとも言える様相を呈したこの映画をボクはゲイのブログの最初の記事に選んだ。「家族」とアイデンティティを求めて旅する姿がテーマと言える。監督のガス・ヴァン・サントは、眠りに落ちたマイクの夢に常に母親のいる風景を描き、家への回帰をポエティックに描いている。
ゲイの男娼のマイクを演じるリバー・フェニックスはその個性を見事に発揮している。彼にしか出せない雰囲気だと思う。バイセクシャルであり結婚して全うな道に戻ることを選んだスコットを演じるキアヌ・リーブスもその劇中の変貌ぶりを演じ切っているが、やはり、リバー・フェニックスの個性あふれる演技は難しい役どころをとても自然に見せている。ホモセクシャルとバイセクシャルの微妙なずれをうまく描いていると感じる。ボクは結局はゲイの道を選んだが、女性経験がないわけではなく、これでも3度ほど結婚に辿り着きそうになったことがある。でも、自分に忠実でいることにした。性生活とか無理ですから。かといって男性と結婚する気もないけど。同居も微妙、プライバシーが保たれればするかも、という程度。
 また、他方で、マイクは兄のリチャードに向って「あんたが父親だ」と責めるシーンがある。事実は映画の中で明らかにされていないが、兄と母との間に生まれた近親相姦の子供ということになる。心境は複雑だ。ラスト、遠景でマイクを連れ去るシーンでは誰だかわかりにくいように撮っているが、おそらくあれは兄のリチャードなのだろう。ゲイというだけでも数奇な人生なのに、これは悲惨だ。体でも売ってないとやりきれないかも知れない。彼は、普通にはなり切れずに、それを拒絶するかのように、外れた道を選んだように思える。家族に理解されるというのは難しいし、赦されても本心までは解ってもらえないものだと思う。やはり、家族と離れて恋人と暮らすか、一生独りを決め込んだ方が自然だと思う。共同生活は相容れない、そう思う。
 せっかく、ゲイのブログなので、それっぽいことも書いておきたい。エッチなシーンは少なく、写真の送りで表現されるセックスが多いが、冒頭でマイクが口でイカされるシーンがある。リバー・フェニックスがとてもセクシャルに喘いでいる。そしてその瞬間を、家が落ちて砕ける映像を挿入することで表現しいているのは実に斬新だ。一応エロ映画ではなく、普通の興行なので、その枠の中で面白い撮り方をしているとボクは思う。盛り上がりに欠けるようにも思うし、ボクがリバー・フェニックスのファンということで偏見が入っているが、この映画をこのブログの最初の記事に出来たことを嬉しく思う。もう、観ている人も多いと思うけど、よかったら観てください。

◎作品データ◎
『マイ・プライベート・アイダホ』
原題:My Own Private Idaho
1991年アメリカ映画/上映時間:1時間44分
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:リバー・フェニックス,キアヌ・リーブス,ジェイムズ・ルッソ,ウィリアム・リチャート,ロドニー・ハーヴェイ